映画hisは失ったものを取り戻す物語
連れ去られ親界隈でも話題となっている映画、his。観てきました。
これがもうとてもいい映画なんですよ。観た後にしばらく幸せな余韻が残るような、そういう映画です。2回観ましたが、また観たい。つまり何度でも観たい映画ということ。
扱っているテーマはLGBTQがメインですが、それだけではありません。家族や離婚、親権の問題が織り込まれています。あとは田舎ぐらしもかな?
そんな舞台は主に岐阜白川町。こんな田舎ぐらしできたら素敵だなーと思わせてくれます。
連れ去られ親であるぼくに刺さってきたのは、LGBTQよりも、親子の関係や、親権といった側面。これがとても大きすぎて…こっちがメインテーマなんじゃないか?なんて思ったり。でもそれは当事者だからでしょうね。
観る人によっていろいろな視点や、感想がある映画だと思います。鑑賞後、一緒に観た方たちの感想を聞きましたが、結構バラバラでした。
それではネタバレ気にせずレビューしてみます。まだ観ていない方は、この先はぜひ観てから読んでください。
・・・
どの登場人物に感情移入したかと尋ねられれば、それはもう、渚と即答できます。裁判後に渚が泣くシーンではもう目と鼻から水がとまりません。
鑑賞後に聞いた感想では、渚は自分勝手な奴だみたいなのもあり、それはそのとおりなのでしょう。でも、渚は立派にパパだったんです。それはもう終始一貫して。最初は片手で卵を割れるのは渚だけです。
パパというよりも「親」というべきでしょうか。
それが泣けてしょうがない。とくに2回目の鑑賞では、渚がどういう決断をするか知っているだけに切なくて。
なにげない空との会話や触れ合いが微笑ましくもあり。渚と空の間の空気感も絶妙というか、とてもリアルなものを感じました。これは台本になかったんじゃないかな?と思わせるような部分もありました。ゆったりした長回しのカットも印象的でした。
だから渚と空のシーン、どれも大好きです。
ぼく自身、連れ去られているとはいえ父親ですし、そうした視点で見ても、とても共感できるんです。
・・・
観終えてまず思ったのは、これは「家族の再生の物語」なのではないかということ。
物語は、渚の家族は壊れている状態ではじまります。
主夫をしていた渚と空は親子として関係を築けていますが、仕事をがんばっていた妻の玲奈はそうではありません。また、渚と玲奈の夫婦関係も破綻しています。
渚は、勝てそうになった離婚裁判で敢えて負けを選びます。パパもママも好きという空のことを考えての決断であるとぼくは受け取りました。いままでできなかった空と玲奈の絆を取り戻してほしいという思い。
そのせいで渚はいったんは空を失ってしまいますが、その決断が巡り巡って家族は再生に向かいます。
一方の迅も喪失した状態からはじまります。パートナーである渚を失い、またゲイであることから社会の居場所を見つけられず、田舎暮らしをする迅。
渚というパートナーを再び得て、また空を受け入れ、片手で卵を割れるようにもなり、関係を再生をします。これもまた家族の形です。
しかし迅にとっていったんは築いた家族も、離婚裁判により失われてしまいます。クリスマスツリーがとてもむなしく映りましたね。ですが、最後には渚の決断により再生に向かうわけです。
そしてラストのカットは、かなり引いた構図に長回しで、この再生を見守るような、見届けるようなシーンとなっています。観客に幸せな余韻を残してくれます。
とまあ、失った家族を取り戻す物語なのではないか、と感じたのです。
ラストカットの最後、空が自転車でちょっとこけます。大慌てで駆け寄る、渚と迅。この慌てっぷりをみるに、こけたのは偶発的で、台本になかったんじゃないかなって思ったのですが、それでも二人とも慌てた動きがパパさんになってます。
そのあと暗転して、空が「強いぞー!」って叫ぶんです。こけたのが偶々だとすればこれアドリブなのかな。すごく印象的な終わり方です。子どもって大人に守られている面もあるのですが、本質的には、しなやかでとても強い存在なんですよね。だからこそ、渚は空を玲奈に託すことができたのかもしれませんね。
空にとっても、一時は失いそうになったパパとママを取り戻す物語でした。
・・・
妻の玲奈は、最初から印象が最悪で、邪悪キャラとしてみていました。なにせ実力で空を連れ去りますからね!
連れ去られ親にとってきついシーンでした。ほとんどの人はこっそり連れ去られるから、こんな実力行使は目撃しないだけに。あるいは、面会交流の最後で似たような場面も起きたりもするでしょうか。ほんと目を覆いたくなるようなシーンでした。
空を連れ去ったあとの玲奈と空の生活も、ちょっと荒んでいる感じで、見ていられません。
玲奈はお酒を飲んで寝てしまい、空が話しかけても向き合わない。渚が二日酔いであっても空に応えるのに比べると、ここは実に対照的なシーンです。
玲奈の母親は毒親をうかがわせる感じで。面倒をみる代わりに必ず親権を取れなどという。この言葉は今の日本の親権問題ゆえの、毒々しい言葉です。最後まで邪悪キャラなのはこの母親と玲奈についた弁護士だけかな。
そしてその後の離婚裁判シーン。心を抉られます。まず玲奈の目がこわすぎる。離婚裁判になったらあんな風に対面になるの?弁護士に攻められるの?想像しただけで鬱々とします。
そんな玲奈も、渚から空を託されて最後には変わります。学校でうまくいっていない空の寝顔を見つめながら、渚に電話して、きっと空のこといろいろ訊いたんでしょうね。片手で卵を割る練習をこっそりはじめちゃったりなんかして。
玲奈にとってもまた、失ったものを取り戻す物語になっているんですね。
・・・
そして、見逃せないのが親権問題です。親権問題は単なる舞台装置のひとつとして考えることもできますが、この映画をきっかけに、多くの方に知っていただきたい問題です。
そもそもなぜ渚と玲奈は空の親権をめぐって争ったのか?日本ではもうこれが当たり前と信じている人もいるかもしれません。ですが、こんなことをしているのは、先進国ではいまや日本くらいのものです。
離婚をしても共同親権、共同養育が可能な制度や社会になっていれば、あのような争いはそもそも起きなかったことでしょう。玲奈も無理に親権を得ようとする必要もなく、無理やり連れ去る必要もなく。
子どもの目線に立てば、離婚をしてもパパ、ママであるわけです。はたして親権争いが子どものためになるでしょうか。親権争いを起こさせる今の制度や社会が、このままでいいのでしょうか。そんなことはないはずです。
この映画の中では、そんな社会にあっても渚の決断のおかげで最終的に失ったものを取り戻す奇跡を起こすことができました。奇跡はなかなか起きないから奇跡なんです。奇跡に頼った社会でいいわけがありません。
もうひとつ、ゲイのカップルに子どもが養育できるのかという観点もありました。普通・一般的かどうかという視点、それってほんとうに子どもの最善になっているのでしょうか。子どもがいじめられるかも?それは社会がわるいのであって、それをもって差別するのを正当化できるのかどうか。
ところで、ゲイと子どもというと、「チョコレートドーナツ(原題:Any Day Now)」という映画を思い出します。連れ去られた後に当事者仲間に教えてもらった映画ですが、この映画も同じような構図があります。興味がある方はぜひ観てみてください。
子どもにとっての最善とはなにか。心理学・社会学的な側面もある、難しいテーマです。完全な正解というのは、おそらくそう簡単には得られないのでしょう。とはいえ、日本以外の先進国ではある程度のコンセンサスができているのが現実です。その結果が共同親権、共同養育です。
そうしたことにも思いを巡らせてもらえればと思います。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?