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インドネシア人妻との出会いと同棲に至るまでの経緯
あまり妻のことを書くと怒られるので書きたくないのだが、ここを書かずして僕のバリ島生活は始まらないのでかいつまんで書いていこうと思う。
僕の妻は当時まだ20歳くらいの幼さの残る女性で、出会いは僕が2番目に働いたダイビングショップだった。そこのマーケティングスタッフだった彼女は当時給料Rp300,000という安月給で仕事をしていた。
ちなみに僕が一番初めに働いたショップでの僕の給料はRp500,000。
そこはオーナーがバリ人で、オーナー夫人が日本人だったのだが、給料の説明は、
「一食Rp5,000×3食×30日でRp450,000。色付けてRp500,000」
という今では考えられないようなブラックな計算をする人だった。
結局最初のショップは2カ月ちょっとでこのオーナー夫人と喧嘩して辞め、2つ目のショップに移ったという経緯がある。
そこで働いていた僕の妻はさらに安いRp300,000なのだからどうやってご飯を食べていたのだろう。
この給料でコス(アパート)も借りていた。
もちろんこの給料では食べていけないので、コスは同僚の女性と一部屋をシェアしていたのだが、この同僚っていうのが、見た目、ウーピーゴールドバーグそっくりのインドネシア人で、体格もごつくて、煙草は吸うし(当時インドネシア人女性で煙草を吸うのは珍しかった)、酒は飲むしで、男勝りだったのだが、実はこいつがレズビアンだったのだ。
後からそれを知った妻。夜な夜な身の危険を感じていたらしく、ある時そのことを打ち明けられたのだが、相談に乗っているうちに何となく恋仲になってしまい、何となくうちに転がり込んできたのだ。
その後、このショップも1か月ちょっとで辞めることになり、自分のお店を作ることになるのである。
それが2001年3月のことだった。
何故僕がこんなにすぐに2つのショップを辞めたのかの理由に関しては次回書いていこうと思う。