「責任」って何? ~ジャニーズ性加害会見をみて~

 先日のジャニーズ性加害問題での記者会見を見てて,そもそも「責任」って何?って思った。

 ジャニーズ事務所であれば,事務所自身(幹部)の責任,事務所に所属するタレントやスタッフの責任。マスコミも同様に,企業自身(幹部)の責任,マスコミに携わる職員の責任。これらは,全て「責任を感じる」との発言で片付けられている。

 企業で不祥事があると,かつては企業幹部は「責任を取る」と言っていたが,最近は「責任を全うする」との発言がほとんど。

 政治家で不祥事があれば,政府や党のトップは「責任は自分にある」と言ってるが,最近の企業同様に,その政治家には「責任を全うさせる」との発言ばかり。

 彼らの言う「責任」ってなんだろうかと思いませんか?

 私が思う「責任」って,古い人間なのかもしれないが,「自分の身を『真剣に恥じて』退く行動」,いわゆる「責任を取る」行動だと思う。

 ジャニーズ性加害問題であれば,事務所幹部はやはり「第三者」に置き換えるべきで,「責任を感じて自分たちで」というのは「外部に任せられないという反省なき自信過剰」と思うし,テレビの報道番組でMCが「責任を感じる」なんて発言してるのは,あまりにも「言うだけタダみたいな無味乾燥」で,それこそ「で,それであんたはどう責任とるの?」って突っ込みたくなる。

 企業の場合も,政治家の場合も,不祥事があるたびに「責任を取る」行動をしていたら,組織として混乱が生じるのはわかる。だから「責任を全うする」という発言で片付けるのも「方策」なんだろうと思うが,どうもここ最近の企業幹部や政治家の居座り,すなわち若返りの遅さ(拒否?)は,いつまでも「自分が,自分でなければ」という頭があるからで,だから不祥事があっても責任をとらないのは「保身に走ってる」としか見えないのは自分だけだろうか。

 本来,「責任」とは,不祥事に関して言えば,起きた時に「取る」ためのものではなく,起きないように「日々行動すべき」ものであり,それをしてもなお不祥事が起きてしまったら,やはり「責任を果たせなかったことを恥じて退く」のが筋と思うし,最近の世の中は何かと「能動的」でなく「受動的」で,この「自覚」がなくなってきてるのではと本当に思う。

 以上,勝手なつぶやきでした。
 
追伸
 ジャニーズ性加害問題について,よく「タレントに罪はない」との報道を目にするが,冒頭「タレントや職員の責任」と記載した。これは,もちろん,隠蔽については組織に一義的責任があるが,「噂で聞いていた」とのタレント発言が少なからずあり,内部で声を上げれなかった,触れてはいけない空気感があった実態があったのは理解するが,であれば,「その結果」が今に至ってしまったという事に対して自分たちに責任は本当になかったのか,ということを今一度考えて欲しいと思うものです。芸能界の世界はよくわからないが,民間企業ではもうずいぶん前からコンプライス教育が徹底されているが,この元はといえば,トップダウンではなくボトムアップが起点なのである。タレントとして社会的影響を与える身にあるならばこそ,社業(タレント業)を通じて社会に貢献する自覚と責任を個々人にもってもらいたいと願う。


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