定年退職後、東南アジアにはまった6
ネパール 過酷な貧困
ネパールは南アジアの国ですが、日本人にはヒマラヤへのアクセスポイントというイメージがあります。そこで出会った人々の生活が信じられないほど過酷で、自分なら生きていけないと思うほどでした。
トレッキングの途中で
ナガルコットという村でトレッキング中に、ガイドが「近くまで来たからちょっと寄ってみた」という感じで民家に立ち寄りました。土壁に薄いトタン板のような屋根、入り口にはムシロが暖簾のようにぶら下がっていました。電気も水道もなく、失礼ですが、私たちの感覚では物置小屋としか思えませんでした。中から出てきた母親と子どもたちが、集まってきました。
きっとガイドは仕事が入るたびに客をこの家に案内して、子供たちが食べ物をせしめることができるようにしていたのでしょう。英語は通じず、彼らの会話は理解できませんでしたが、チョコレートを手渡すと当たり前のようにそれを受け取り、うれしそうな顔をするわけでもなく食べていました。
長い下りの山道はやがて河原にでますが、そこから油断すると転びそうな急傾斜を裸足で水を担いで登ってくる老人とすれちがいました。彼は生活に必要な水を得るために、この道を何往復もしているのでしょう。ただ命をつなぐ、生きるということが、ここではたいへんなことです・・・。
カトマンズ ダルバール広場で
ダルバール広場はカトマンズの名所、王宮や寺院が密集している場所です。2017年11月に訪れたのですが、2015年の大地震で多くの建物が崩れていました。写真を撮っていると、大きなペットボトルを抱えた子が「水を買ってほしい」と近寄ってきました。平日の10時くらいです。カトマンズは山間に比較すると裕福だといいますが、小さな子が学校へも行かず重い水を抱えて観光客に売り歩いていました。
職業柄、子どもに弱くてそれだけで涙がでそうになるのですが、水はいりませんでした。追い払うこともできず、彼のいう金額を払って「水はいらない」とペットボトルを返すと「代わりに何かしたい」と言います。「じゃあ、少しお話をして、写真を撮りたい」と提案したらにっこり笑って承諾してくれました。どこか近くに大人がいて、彼が売り歩くのを見ていること、学校は朝一番のクラスでもう授業が終わったのだ教えてくれました。ネパールでは子どもが子どもでいることが許されていません。
ただ、英語を小さな子が使いこなしていたのはすごいと思いました。空港から乗ったタクシーのドライバーが「若い人はほとんどが英語を理解できる」と言ってましたが、都市部ではそれだけ徹底した英語教育が行われているのでしょう。
「可哀そうだと思うのは日本人の思い上がりで、現地の人はそれが当たり前だから辛くはない」と言われたこともありますが、私には辛いものは辛いとしか思えませんでした。