見出し画像

オ―マレーシア 日本兵は残虐だった

 ポートディクソンというリゾート地の近くにArmy Museumがあります。そこの展示物にマレー作戦を描いた絵画があります。左半分は戦闘の様子、中央付近にこの作戦の特徴である自転車部隊の兵隊、そして全体の三分の一に日本兵が捕虜を惨殺する様子が描かれています。私はこの絵を制作した人の気持ちを想像し、しばらく考え込んでしまいました。

 きっと日本兵の残虐さは、こんなに大きく描きたいほど酷いものだったのでしょう。日本では被害者としてあの戦争が語られることが多いのですが、海外では私たちはまちがいなく加害者です。東南アジアの人々に本当に申し訳ないと思います。
 日本がどんな経緯でマレーシアを侵略したのか、私は何も知りませんでした。

Army Museumに展示されている絵画 捕虜を銃剣で刺殺する日本兵が描かれている。

そもそも日本はどうして第二次世界大戦に参戦したのか

オーストラリアの歴史家・ブレイニーがコンパクトにまとめた世界史「小さな大世界史アフリカから出発した人類の長い旅」に第二次世界大戦について次のような記述があります。

 第二次世界大戦は、明確に区別できる二つの戦争から成っていた。ひとつはおもにヨーロッパで戦われ、もうひとつはおもに東アジアで戦われた。アジアの戦争のほうが早かった。それは一九三二年に日本が満州を侵略したときに始まり、一九三七年に日本が中国の東半分を占領し始めたときに一層激しくなった。
 ヒトラーが一九四〇年に西ヨーロッパで驚異的な勝利をあげたために、東南アジアにおけるイギリス、オランダ、フランスの植民地、以前のスペイン領フィリピンにおけるアメリカ基地の脆弱性が露呈された。日本はその弱みにつけこんだ。そして、一九四一年一二月、日本は、ビルマと香港から真珠湾にいたる領土や基地を、突然攻撃したのだった。

小さな大世界史アフリカから出発した人類の長い旅 ジェフリー・ブレイニー 著 南塚信吾 監訳 ミネルヴァ書房

※1文中1932年は柳条湖事件のことと思われる。正しくは1931年
※2文中1940年がドイツのポーランド侵攻をあらわすなら正しくは1939年

 日本の教科書では第二次世界大戦はドイツのポーランド侵攻により開始され、日本の参戦はマレー作戦や真珠湾攻撃によると書かれています。

しかし、1941年があの戦争のはじまりと考えると「負けるとわかってる戦争をなぜ始めたのか」という疑問がわきます。小説のような謀略説を語る人もいますが、にわかには信じがたいですよね。ジェフリー・ブレイニーの説明の方が理にかなっているように思います。「弱みにつけ込んだ」という言い方は日本人を軽蔑してるようで抵抗を感じますが。

「本当の失敗は1931年にはじまり、1937年に盧溝橋事件を起こして中国に攻め入ったが、ゲリラ戦で泥沼に引きずり込まれたことだった。1941年には資源も底をつきはじめたので、一か八かの勝負に出た」と説明されるとなんかわかったような気になりますね。