![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/173655653/rectangle_large_type_2_14e9e74f45a483d00f83fdba5068b0e4.jpeg?width=1200)
日本とマレーシアの宗教・言語政策の比較
日本は第2次世界大戦中、侵略した国々で「皇民化政策」を実施しました。この政策は、占領した国の人々に対し、神社への参拝や日本語の使用を強制するものでした。一種の同化政策で、現地の文化や習慣を無視し、日本の文化を押し付けたのです。国内においてもアイヌ民族の文化を押しつぶしてしまいました。中国が内モンゴルやチベットで行おうとしていることも同じですね。
一方、マレーシアには多くの民族が存在し、多様な文化が共存しています。大きく分けると下のような構成になります。
マレー系(69.6%)、中国系(22.6%)、インド系(6.8%)、その他(1%)
その中にブミプトラと呼ばれる人たちがいます。ブミプトラは「土地の子」という意味で、マレー系の人々とマレー半島に土着のイスラム教徒が含まれます。マレーシアはこのブミプトラを優遇する「ブミプトラ政策」をとっています。例えば公的な機関の事務・教育職員などはブミプトラで構成され、清掃や環境整備の現場で働くのはインド系の人たちです。中国系の人たちは主に経済の場で活躍していますが、公務員にはなれません。
マレーシアは独立以来、イスラム教を国教、マレー語を国語、そしてブミプトラに優先的地位を与えるという3つの柱を堅持しています。そして、市民権などについて公共の場で討論することは憲法で禁じられています。日本人である私から見ると不公平な印象を持ちますが、住んでみると日本よりも寛容であると感じます。ブミプトラを優遇しますが、それ以外の人たちの存在も尊重しているからです。同化政策で多様な文化を否定するよりはずっと良いと思います。
マレー語が国語とされていますが、英語も公用語として定められており、日常生活では英語が広く用いられています。多くの場面で英語が使用されるため、異なる民族間でも日常生活で不便を感じることはありません。母語がマレー語であろうが、北京語や福建語、ヒンディ語であろうが互いにマレーシア人として英語でコミュニケーションを取ります。日本人の私も道を聞かれたり、電車の路線を聞かれたりします。この国の人たちには「外国人」という観念が薄いのかもしれません。
イスラム教が国教であるにもかかわらず、クアラルンプール市内にはキリスト教会やヒンドゥ―教、仏教の寺院があちこちにあり、それぞれが時季になると大きな行事を催します。このような宗教的寛容性は、オスマン帝国を思い起こさせます。
日本が鎌倉・戦国時代を経て、鎖国をしている間にオスマンはアジア、アフリカ、ヨーロッパにまたがる巨大な帝国を形成していました。オスマン帝国は征服した民族を排斥することなく、イスラム教へ改宗させることもなく、一定の税金を納めることで自由に生活できる政策を採用していました。そこでは、異なる文化や宗教が共存し、長く繫栄しました。
マレーシアもまた、多様な文化と宗教が共存し、お互いを尊重する社会を築いています。日本の歴史と比較すると、マレーシアの多民族共生の姿勢は学ぶべき点が多いと感じます。異なる文化や宗教が共存することで、社会はより豊かで多様性に富むものとなるからです。