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「年収240万で暮らせる」発言が醸す思い上がりとそうだった自分
いわゆる「ハイスペ」なイメージのアカウントがこんな呟きをしていた。
年収240万円になったから、だからなんだという気もする。
— シャイニング丸の内 (@shimaru365) September 12, 2019
ランチ2,000円が話題であったが僕なんて豆乳かバナナだから100円ですよ?貧乏暇なし。ランチ食べている時点でゆとり職種すぎて驚くよね。
特に困らない気がする。
これを見たときに正直に言うと非常に怒りを感じました。彼をちゃんとフォローしているわけではなく(元々は女垢だったよね)、たまに流れてくるのを目にするだけなので、人となりなどは知らないのですが、「ハイスペ的な観点で語る、お金がある人がなにいってるのかな」と思いました。
けれど同時に、今から記事で書くような経験をしなかったら、私はきっと同じようなことをナチュラルに思っていたのでは?とも思うのです。
中高一貫一流校育ち東大卒(父は一流企業、母は富裕層家庭出身専業主婦)的なステレオタイプの「恵まれた」人が、「低学歴も低年収も本人の努力不足」と言ってしまうような類の、そういった目線。
過去の自分を見ても、上記のような間違った差別意識はあったし、今だってナチュラルに「当然」みたいに思っている話は、おそらく無限にある。
そんなわけで、家庭面にはそれなりの苦労はありながらも、生活や親に与えてもらった教育によっての学歴、それを経ての職歴において「そんなに苦労していない」私がある日陥った「お金のない」世界の話です。
あんまり読まれたいタイプの話でもないので、値段高めに設定します。
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ありがとうございます。『あなたの課金は、私の課金』を標語に経済をまわしていきましょう。