休むと逃げるの混同による罪悪感の醸成と戦略的撤退の軽視
りっすんでの『休職を選んだ後悔を抱きながら、私は「休んでよかった」と「もっと頑張れていたら」の間を生きていく』の公開で寄せられたコメントや感想を読み、かつ自身のロールも10年前から変化した中で体験を振り返って、原稿執筆時から今にいたるまで「休みの重要さ」についてのアレコレが頭の片隅にただよっている。
記事内文末でも記載したように「適切に休みを取得し自分の態勢を立て直す時間をとる、またその判断をすることは、キャリア及び人生を設計するために極めて重要な戦略である」という点は、自分の社会人人生の中でも明示的に教えられたことがなかった。折れた時に「実は自分も鬱を経験した」という打ち明けを上長たちがしてくれたことはあったが、「ならないための教え」は受けてなくて、結局「やっちまった後の連帯」にしかなってなかったなぁ…ということを考える。
曖昧な「休んでいいよ」の概念
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ありがとうございます。『あなたの課金は、私の課金』を標語に経済をまわしていきましょう。