人生初の万バズが見せてくれた一夜の夢
つい先日、X(旧ツイッター)で呟いたものが、大バズリした。たった20文字の投稿だった。
いいねの数、なんと8.6万人! いわゆる万バズである。
しかもこの投稿が目に触れた人の数は、驚くことに131万人を越えた。
これは全国の花火大会来場者数ランキングで一位を誇る大阪の天神祭奉納花火大会の130万人より多い。
我が家のささやかな日常を切り取った投稿は、いつの間にかワーッショイ! ワーッショイ! と担がれ人が集まる広場に連れて行かれお祭り気分で浮遊した。
こんなことになるとも知らず、Xに20文字を呟いた後はごくごくフツーの土曜日を過ごしていた。子供たちと車を点検に出しに行ったり牛丼を食べたり……。いつもと違ったのは夜に珍しくママ友との飲み会に参加した事だった。つまり、スマホを触る機会がほとんどなく、解散が近づき時間を確認するついでにXを開いた私は、あんぐりと口を開けた。
朝の時点では40~50程度だった「いいね」が、夜にはもう1万に近づこうとしていた。
(お、おう……!!)
好きな事を好きな時に誰の目も気にせず自由に呟きたいので、アカウント名はニックネームを使っているし、リアルの友人とは一人も繋がっていない。もちろんママ友たちも、このアカウントは誰も知らない。私はあんぐりした口を気づかれないように静かに閉じながらお支払いをした。
さて、肝心の内容であるが、20文字の呟きよりも、おそらく写真の内容に関心が寄せられたようだった。8才の長男が家族のために準備してくれた朝食の風景だったのだ。
卵焼きにウインナー、レタスとトマトのサラダにデザートのキウイ、麦茶が入ったマグカップにはご丁寧にコースターが敷かれていた。写真には一言だけ「8才が作ってくれた朝ごはん、世界に晒そ」と添えた。
たったそれだけの事だったが、リポスト(見た人が自分のアカウントで再投稿する)などであっという間に拡散され、ピコンピコンと次から次に私のスマホにはたくさんの「いいね」が送られてきた。
なぜこんなにも急激に伸びたのか最初は謎だったが、130件ほどのコメントを見ていくうちに腑に落ちた。一番多かったワードは「尊い」で、次に「感動~」や「すごい」が並んでいた。
どうやらたった8才の少年が火や包丁を使って調理し、テーブルセッティングまでしたことが注目を集めたらしい。長男は幼い頃から台所に立つのが好きで火も包丁も何度も使ってきたので、母親の私からしたら驚くようなことではなかったが、一般的には珍しい部類に入るのかもしれないと感じた。
長男の作った朝食が絶賛されたことは、母としても嬉しく誇らしい気分だった。
しかも、である。
賞賛の嵐はついに母の私にまで飛んできた。
「お母さんのを真似て作ったに違いない。ってことはお母さんがとてもステキな方なのね」
「普段から丁寧な暮らししてるんだろうね。教育が素晴らしい」
普段聞き慣れない誉め言葉に(あらやだ奥さん!)と口元はニヤニヤと絞まりなく、心は完全に浮き立った。普段、人からの賞賛を浴びることのない女はこんなにもちょっとした事で浮かれてしまうのだから本当に情けない。
しかし、浮かれポンチの私に冷や水をぶっかけてくる輩が現れた。
アンチコメントである。
「ヤギのエサ」
「残飯かな?」
……!? てめぇ、やんのかコラ!! うちの8才が一生懸命作ったご飯になんて事言うんだ!!
匿名でコメントしてきてねーで、表出ろや!!
一瞬拳を握ったが、わりかしすぐに冷静になる自分がいた。
結局はニックネームで自由に呟けて、規制があるようでないような世界だ。アンチコメントが趣味の人は、自身の言葉で何かを語ることはあまりなく、他人の投稿に噛み付く形で憂さ晴らしをしている事が多い。そんなのは、スルーするに限る。頂いたコメントにはありがとうの気持ちを込めてひとつずつ「いいね」を押していた私だったが、アンチの二人にはもちろん「いいね」を押さずあっかんべーをしておいた。
逆に、今回の万バズで恩恵を受けたものがあった。Xでは投稿がバズった場合、許可なく転載される事を防ぐために、投稿に絡めて「宣伝」を行うという風習がある。私は書き溜めているエッセイを多くの人に見てもらいたくnoteのアカウントを貼り付けた。noteは文章をメインとした記事コンテンツを発信できるサービスだ。
そのおかげだろうか。
拡散している記事のクリック数は最高でも50程度だったが、最新作は80を優に超えた! 万歳!
こうなると人間欲深いもので「またバズらないかな~」などと企んでしまう自分がいる。しかし、偶発的に生み出されることの多いバズリを事前に予測することは難しく、絶対にバズる魔法のようなものは存在しない。
だとしたら、これからもバズるバズらないは気にせず、日々感情を揺さぶってくるものに目を向けながら淡々と呟いていこう。私にとっての呟きは、その時々の慎ましいながらに宝物である生活を反映するものであり、ひとつひとつが私の大事な作品なのだから。【終わり】
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