推し論
こんにちは。
みなさんには推しがいらっしゃいますでしょうか?
私には、います。
その人はとても楽しそうに日々を、瞬間を生きていて、そこが好きなポイントです。
そして、私はその人になりたい、と願っております。
あんな風に楽しく生きたい。
あんな風に人の心を動かしたい。
あんなに面白くなりたい。
そういう風に思っています。
今のところ、私の生涯で4人の推しがいました。
ジャンルはバラバラで、性別もバラバラ。
しかし、推しに対し共通して思う事は、「推しになりたい」ということ。
推しの思考回路が欲しい。
出来ることなら、推しを融かして自分の中に取り込みたい。
そして、私自身と推しとの融合体になって、話したり作ったりしたい。
常々そう思っています。
また、気のつかぬ間に、私は推しに似ていきます。
発する言葉や行う事が、推しに近づくのです。
推しの言い回しをしたり、推しの癖をしたり、少しずつ、確実に、推しになろうとしています。
これは無意識で行われるため、嬉しくもあり、恥ずかしくもあり、情けなくもあり、申し訳なくもあり…。
どちらかというとマイナスな気持ちにはなります。
みなさんはいかがでしょうか?
推しへの想いはどのようなものでしょうか?
教えて欲しい、教えて下さい。
そもそも推しがいない人もいらっしゃるでしょう。
推しがいる日々のキラメキは、推しがいない人が感じるどの日々のキラメキと似通っているのでしょうか?
どうなんだろうか?
どうなの?
人間とは、不思議ですね。