はじめて買ったCD…

それは、遊助の「たんぽぽ」だったと思う。上地雄輔さんが、遊助名義で出している2ndシングルだ。1stシングルは「ひまわり」なのだが、これは母親からプレゼントしてもらったので自分では買っていない。自分で買ったとなると「たんぽぽ」になる。


私が音楽というものに夢中になり始めたのは小学校高学年の頃。当時「花より男子リターンズ」が爆発的に流行っていて、Love so sweetは耳タコになるほど街から聴こえてきた。卒業式に歌ったのはコブクロの蕾だった。

中学1年生のころある番組にハマった。「クイズ!ヘキサゴン」というクイズバラエティだ。その番組内で当時結成された「羞恥心」という3人組グループがあったのだが、上地雄輔はその中の1人だった。つるの剛士、野久保直樹の2人と組んでいて当時話題になった。1stシングルの「羞恥心」はオリコン2位になるほどだった。

しかし羞恥心は1年足らずで解散してしまい、上地雄輔は遊助という名で音楽活動を続けることになる。そこからは遊助が曲を出すたびにCDを買っていた。中学3年間、わたしは遊助の音楽に夢中だった。もちろん他のアーティストの音楽もたくさん聴いていたし大好きだった。それでも当時、私の中の一番は遊助だった。


それだけたくさん聴いていたのに、夢中だったのに、今は全く聴いていない。あの頃なぜ夢中だったのかすら思い出せない。正確には、思い出したくないのかもしれない。



当時、ヘキサゴンや羞恥心、遊助を好きな人は周りにはほとんどいなかった。特に部活では私だけで、それを時折いじられていた。部員たちが好きなアーティストの話をしている中に混じっていると「でも〇〇ちゃんは遊助だもんね〜(笑い)」と言われ、それがオチになって話が終わるという感じだった。

部員たちにいじってるつもりはなかったのかもしれない。イジワルのつもりもなく、ただ1人だけ遊助にやけに夢中な人がいるのが興味深くてそう言っただけなのかもしれない。でも当時の私は、毎回誰かに指摘されて笑われて終わるというのが恥ずかしかった。周りの人は好きなアーティストの話で「わかるー!いいよね!」と共感しあって盛り上がっているのに、私は笑われたり「へぇ〜そうなんだ」で終わることが多くてしんどかった。

「ヘキサゴンや遊助を好きだと言ったら笑われる」と思うようになった私は、少しずつそれらを敬遠するようになり、高校に上がった頃にはもう聴かなくなっていた。そればかりか、好きなことを好きだと人に言えなくなった。自信を持って好きなことを主張することに抵抗を覚えた。



夢中になって聴いていたけど聴かなくなった曲やアーティストは、誰にでもあると思う。それは時間とともに趣味や好みが変わったり、他に興味のあるアーティストを見つけたりと理由はさまざまだろう。そこに後ろ向きな理由はなく、ただ自分の好奇心に正直な結果なのだと思う。わたしもそういう経験は何度もある。だからこそ、ある曲を聴いた時に「懐かしいなぁ」とか「あの頃よく聴いてたなぁ」といった気持ちになれる。思い出に浸れる。


しかし、遊助は違う。私にとって黒歴史の象徴のようになってしまっている。わざと耳に入らないようにしているし、聴こえてきてもノスタルジーは感じない。あんなに中学時代をともにしたはずなのに、嫌悪感さえ抱いてしまう。

こんなことを書いたら遊助を否定しているように読まれてしまうかもしれないが、決してそんなことはない。私が中学時代に聴き続けたのは紛れもなく遊助の楽曲だ。辛いときや悲しいときは、遊助の音楽で何度も励まされた。それは偽りのない事実だし、遊助はそうして当時の私を何度も何度も励ましてくれた存在だ。



そうやって何度も私を救ってくれた遊助の楽曲を、いまこうして聴けない自分がいることに困惑している。頭ではあの頃の私の好きな気持ちを肯定しようとしているのに、心はそれを拒絶している。好きなことを好きと言いたい気持ちも抑えつけられたままだ。

でも本当は、好きなことは好きだと言いたい。好きなことをたくさん発信して、同士を見つけて語り合いたい。共感しあいたい。そうなれるように、少しずつ自分を肯定できるように意識している。たとえ周りが笑ってきても、私にとっては大好きでおもしろいものならそれでいい。笑われて恥ずかしいなら、隠れた場所で夢中になってもいい。評価に振り回されすぎないような自分になりたい。そして自分にとってはわからないものでも、誰かにとって大切なものならそれを尊重できる人になりたい。

そういう自分に近づけたとき、心の底から遊助を楽しめるようになるかな。



ぱんなこった




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