『おかえり』
あの日、僕は全てを失った…
僕の人生の中であの時ばかりは、本当に「死」と言う言葉が頭の中を駆け巡った。
僕は三人の子供に恵まれたパパ。
決して裕福という家庭環境ではなかったが、妻と共働きながら夫婦で協力し、子供達を育てていた。
休みの日は必ず家族でお出掛けし、周りの家庭から見ても仲のいい家族であり、自分で言うのもあれだが、とても幸せな日々を送っていたと思う。
旅行にも沢山行き、ホームビデオのストレージは家族の思い出で常にパンパン。嬉しい悲鳴という幸せだ。
そんな幸せはある日突然終わりを告げる…
ことの始まりは第4子の死産から。
元々流産気質の高い母体だったが、無事に三人も産んでいたので、油断というのが大きな原因の一つだった。
僕はその時、流産や死産は初めての経験であり、妻への配慮が足りなかったのか…と、今では思うこともある。ま、実際の所それはないのだが。
三人の男兄弟のパパである以上、子供達の前では気丈でいなければならないと思う気持ちが勝ってしまった。
これが本音だ。
死産後、妻は2ヶ月の休暇に入った。
僕は妻の体調やメンタルを気遣い、旅行やお出掛けにと、家族の思い出を大切にした。出来得る限りの妻の要望にも答えた。
正直、これくらいしか男の自分には出来ることがなかったからだ。
妻は2ヶ月の休暇明けは仕事に復帰し、普段の日常が戻っていった。
と思っていたのだ。
しかし、運命の歯車は自分の思いとは別に回りだしていた…
それは妻の休暇の間から、妻から微かに感じる違和感が次第に大きくなっていたことが始まりである。
最初のうちは気にもならないような、本当に些細なことではあったが、そんな出来事が幾重にも重なると違和感から疑いへと変化していくのである。
妻を愛していた。
心の底から愛していた。
故に信じたくない気持ちとの葛藤…
まさか自分がこんな思いに悩むとは、思いもしなかった。
でも、この空気が嫌だ。
モヤモヤにしかならない現状に嫌気がさしたってのが本当の気持ち…
一念発起というか、にっちもさっちもいかない状況に嫌気がさし、勇気を振り絞り妻と話すことを決意し、とうとう行動に移してしまったのである。
結果は…
黒だった…
ある程度覚悟はしていたが、まさか本当に浮気されているとは…
凄く複雑な心境だった。怒りが1番前にくるのは当たり前なのだが、自分への情けなさ、悲しみや愛している気持ち、嫉妬心など様々な感情が入り交じる異様な心の状態であった。
これが夫婦、親でなければ答えはすぐにでも出せたのではあるが、子供達の将来のことなどを考えると、そう易々とは答えは出せないのが現実。
というよりも妻に惚れて結婚したのであり、妻を愛していた。その事が1番重要であり、この時は恥を忍んで関係修復に尽力するのは当然の行動であったのである。
僕は妻へ「犯してしまった過ちは取り返すことは出来ないが、これから先、未来は変えることが出来る」と、その時伝えた。
妻も反省し、改心すると言ってくれた。
少しばかり死産のことで情緒が不安定であったと。
少しの間実家に帰り子供達とゆっくりしたい。そして、あなたともう1度やり直したい。
その言葉が嬉しかった。
だから妻が実家に帰りたいと言った時、2つ返事で許した。
子供達も一緒に行くし安心しきってしまっていたのは言うまでもない。
子供達の学校や園の行事がある為、長期になるような滞在の許可は出さなかったが、妻の実家への送り迎えを条件に三、四日の帰省を許した。
妻と子供達を妻の実家へと送迎し、1人自宅に帰宅。
僕は真っ先に部屋に入り、誰もいない静けさに何とも言えない寂しさを感じながらベッドに腰を掛ける。
妻はサプライズ的な手紙が好きな性格だった。
喧嘩した後や、イベント事がある度にコソッと僕の目につく所に手紙を置いていた。
僕は妻のそんな所が意外と好きだった。
だからこの時も、そんな期待が僕の胸を踊らせ、真っ先に部屋に駆けつけさせたのである。
単純で馬鹿な男だ。
などと思いながら部屋を見渡す。
「あったあった」
誰もいない部屋で子供のようにはしゃぐ男。端からみたら滑稽である。
そして半笑いの笑みを我慢しながら手紙に目を通す。
「今まで色々辛いこととかあったけど旅行とか沢山連れて行ってくれて楽しい思い出も沢山あったよ。本当にありがとう。私は幸せやったよ。○○は未来を変えることが出来ると言ってくれた。だから私も幸せな未来へ変えてみたいな。浮気してごめんね。してはいけないことして○○を傷付けて本当にごめんなさい。また○○のこと好きになれたらいいなと思います。」
他にも色々と書いてあったが、僕は真っ先にそこの文脈に目が行ってしまった。
実は喧嘩後に手紙を書いてるのかな?と思う時間があった。妻はとなりの部屋でコソコソ何かをしていたからだ。
でも、その時僕は、妻のすすり泣く声が聞こえていたのである。何か色々と思い出しながら書いてんだろうなと感じていた。
普通に読めば反省手紙とも読めるのだが、この文面にある、ある違和感に僕は気付いたのである。
泣きながら手紙を書いていること
何故か過去形の文体
そして最後の変な希望的な文体
そう。
僕にはこの手紙が「別れの手紙」に思えた。
ま、その時は妻の浮気が発覚したという状況の後であり、僕自身が情緒不安定だったというのもあるにはあったのだが…
手紙を読んだ後、僕の精神は負のスパイラルに陥った。
なんとか冷静さを保つ為、妻との共通の友達に相談をし、妻を信じようと必死になっていた。
しかし、浮気発覚後の精神状態では、1度不信を抱いてしまうと歯止めが効くわけなく…
不安で仕方なかったから妻へ電話をして不安を少しでも潰そうと考え、電話することにした。
その時は普通に話をしているのだが、時間が経つに連れ電話を早く切ろうとする言動が目立ってきた。
最後に長男へ電話を変わってもらったのだが、その時の長男の言動に物凄い違和感を覚えたのである。
言葉では言い表しにくいのだが、親であるからこそわかる子供の微妙なニュアンスや声色の違いに違和感を覚えたのである。
電話を切って数時間後、妻との連絡が取りにくい状況に焦りと苛立ちを覚えた僕はある行動をとることを決意する。
妻の実家へ突撃来訪しよう。
時間は夜9時頃ではあったが、実家でもあるわけだし、身内なのである程度は大丈夫だろうと判断した。
というよりも、無礼であったとしてもこの際関係無いと思ったのである。
実家に居れば謝れば良いことである訳だし、自分の子供に会いたいと思ってはいけないのであろうか?
妻にLINEで「今から行く」とだけは伝えておいた。
この時ばかりは返事が返ってきた。
「来たらひくわ」とだけ。
その後電話をしても出ない。返事も返ってこないとなると僕は行動を起こす他ない。
というよりも、もしもの可能性が頭を過るからだ。
子供達は無事だろうか…
その事だけが異様な胸騒ぎとして胸の変な部分を騒がすのである。
男として、否、親としての勘だ。
この時ばかりは後先考えず、ただただ自分の直感だけを信じ行動した。
そして妻の実家に到着し、少し震えた指でドアホンの呼び出しボタンを押す。
ガチャリ。
キィーと耳に障る嫌な音が耳に残る
何とも嫌そうな顔付きで出てきたのは嫁の育ての親(叔母)だった。
「夜分遅くすいません。少し子供が心配になったので迎えに来ました。」
と、僕は咄嗟に答える。
少しの沈黙の時間が流れた後、
「お前何時やと思ってんねん」
と当たり前と言えば当たり前の返答が返ってくる。
「すいません、妻と連絡がとれなかったので子供達のことが心配だったので失礼かと思ったんですけど、来てしまいました。妻と子供達は居ますでしょうか?」
と不安で震えている体と心に鞭をうち声を振り絞りながら訪ねた。
「おらんよ」
「… … …」
僕は頭の中で何が起こっているか理解出来ていなかったんだろう…言葉が直ぐに出て来なかった。
「は?…えっ、どういうことですか?」
パニックで敬語などの切り替えが出来ない。
「いや、だからここにはおれへんねん」
自分が今、何を聞くべきなのか、何をしたらいいのかさえ自分ではわからない状態の僕に叔母は畳み掛けてくる。
「お前が悪いねん」
「お前今日仕事は?」
「○○(妻)が旅行に行ってると思ったらええねん」
「別れたい言うてたぞ」
「1度離れた気持ちは返ってこやんぞ」
「お前はあいつとよぉ頑張った方やわ」
…
…
コイツ何言うてんの?頭おかしいんか?今僕はここに妻と子供が居るかと聞いてんねん。
流石に妻側の親族とは言え、失礼な返答に苛立ちを感じた僕は口調を荒げた。
「いや、今はそんなん聞いてんちゃうねん。子供はどこにおるん?」
僕の口調に腹が立ったのか、やや怒り気味に
「知らんわ。てか何でお前は子供のことばっかり聞くねん」
なんとも意味のわからない返答である。
子供の親として当たり前の反応だと思うのだが。
相手の意味のわからない対応に徐々に冷静さを取り戻していく。
その後も妻の叔母は僕を攻め続けるだけであり、肝心の子供と妻の居場所をハッキリとは教えてくれることは無かった。
辻褄の合わない言葉ばかりで対応され、確実に嘘なのはわかりきっていた。
僕の心臓の鼓動は今まで感じたことがないくらい早くなっていた。
一息付かないと危ない。直感的にそう感じた僕は、とりあえず車に戻りタバコに火をつけ、少しでも落ち着こうとした。
頭の中は正直パニック以外何も無い状況だった。ただ、どうにかして居場所だけは突き止めたかった。
混乱していながらも、あることを思い出した。
GPS検索があるじゃないか。
相手に反応がなければ居場所は特定出来ない可能性があったが、やらないよりかはマシだと思い検索をかけてみた。
検索中の画面が出てくる。
心の中では期待と不安が入り交じる…
見付かって欲しい気持ちと、もしもの時の不安が胸をキューっと締め付ける…
そして…
「出た!!」
「… … …」
「なんでやねん…親戚のとこって言うてたやんけ…」
叔母には大阪にいるもう1人の親戚の家に泊まってると最後に言われていた。といいつつも連絡先や住所はわからないと意味不明の返答だったので嘘だとわかりきっていた。
しかし僕は、もしかしてなど考えたく無い気持ちから、大阪にいて欲しいと思う現実逃避的な発想になっていた。
しかし現実は…
表示されたのは愛知県のとある場所であったのである…
その瞬間、僕の目からはあり得ない程の涙が溢れてきた…
産まれて初めて涙で前が見えなくなった。
心臓は痛いほど鼓動し、顔が心臓の鼓動と同じように脈を打っているように感じられた。
体は尋常では無いくらい震え、まるで全身が痙攣しているかのように思えた。
僕と妻に愛知県に親戚などは居ない。
そして友人も居ない。僕達家族にとっては未開の地であったのだ。
その事実が恐怖へと変わり、もう頭の中はぐちゃぐちゃで、声が出ない…
ただ、出てくるのは止めどない涙と言葉に出来ない感情の塊のような声…
この時、初めて僕はリアルな「死」という文字が頭の中を埋め尽くされてしまった…
人間は自分の感情の処理の限界を垣間見た時、こんな状態になるんだなと、この時初めて理解した。
今では冷静に分析することが出来るが、今後の人生において二度と経験したくはないことであり、ましてや僕の子供には絶対に経験させたくないことには変わり無い。
「死」を意識した時、真っ先に浮かんだのが、子供達の顔だった。
「もし今、自分が居なくなってしまえば、助けを求めているかもしれない子供達を誰が助けるのだ!」
と、何処からともなく冷静な自分の声が聞こえたような気がした。それに呼応するが如く意識がゆっくりと回復していく。
そして僕は震える手で車のナビをセットする。まだ体はショックに耐えきれておらず、ナビが上手くセット出来ない。
震える手を押さえつけ何とかナビをセットし終えると僕は走り出す。
子供達が居るかも知れないその場所へ。
車内では考えないようにと心掛けていたが、無理な話であった。
無駄にプラス思考に考えては、最悪な事態を想像したりの繰り返しであり、涙が止まることは無かった。
それでも、死んではいけないという思いだけで車を走らせていた。
子供達に会いたい。
いつしか妻の行ったことよりも意識は子供達のことに変わっていたのだ。
そして、車で約四時間程で目的地に到着した。
着いたのは朝方の午前3時半。
一般のGPS検索ではピンポイントで表示されることはない為、ある程度の予測でしか無かったのだが、何度か検索をかけていたので大まかな場所は特定出来たのである。
しかし、朝方に1人のオッサンがウロチョロしているのはあからさまに怪しい訳で。
ある程度の目星は着けたので、一先ず近所の警察に相談することにした。
誘拐されているかも知れないし(これはある意味、裏切られたという真実から逃げたかっただけ)、不審者として捕まりたくなかったからだ。
そして、近所の交番で話をした。
事件性があるのか無いのか、DVで逃げている人もいるのでそう言った届け出があるかないかなど、結構手続きに時間を取られてしまった。
調べている時に、警察官と色々話をした。
ことの成り行きを話し、どうするべきか色々と相談していたのである。
ベテランの警察官であったので、その警察官の方は僕を慰めるというか、良い意味での説得をしてくれたのである。
警察官の方の経験上、このまま本人が探すのはあまり良くないことが起こりやすいっていうのが理由だ。
冷静でいられる訳がない。
警察官のためになるお話を聞き、僕はとりあえず帰路に着くことにした。不完全燃焼ではあるが、自分が正気でいられる自信も無かったからだ。
正直なところ、実は見たくない気持ちもあった。裏切りを直に見るのは嫌だったのが1番の理由かな…
帰路でも行きしなと同じことの繰り返し…
ただ少し違うのは、どうやって子供達を取り戻そうかと、この時は頭をフル回転させていた分、涙はあまり流れなかったってくらい。
何とか無事に帰宅出来たのはお昼過ぎだった。
僕達家族は僕の親(母)と同居していたので、流石に僕の母は異常事態に気付いていた。
誤魔化しきれないと判断した僕は、全てを母に話した。
母に話したことにより、もう僕達家族は後戻り出来ないことを覚悟した。
母は泣き崩れた…
自分の息子が自分(母)と同じ運命を辿ってしまったこと、そして孫に二度と会えないかも知れないと悟ったからだ。
しかし、まだ僕は諦めていた訳ではなかった。
最後の手段に出たのである。
探偵を使い、妻と子供達の安否の確認がしたかったのが第一だが、もしもの為の証拠が欲しかったのだ。
実は妻の浮気がわかった際に、妻と誓約書をお互い交わしていた。
その内容は
「浮気をした、または浮気を疑うようなことをした場合、した側は子供達の親権を含む全ての権利を放棄する」
という旨の誓約書を交わしていたのだ。
一種の保険というか抑止力のつもりで用意したものが、まさか武器になるとは思っても無かったが…
だから、この時は確固たる証拠が欲しかった。
そして、僕は直ぐ様行動に移し探偵事務所と弁護士を探した。
子供達を取り戻す為に全てをかけた。
「死」を意識した時、その瞬間、僕は1人の男から父親に完全に変わったのである。
僕は夫婦であった時、子供が産まれて父にはなったが、親にはなれていなかった。
夫婦ではあるが、男と女の関係を優先していた未熟者であったと思う。
初めて子供を失うとわかった時、妻のことよりも子供のことしか考えれなくなった。心の底から失いたくないと思った。
僕が父親になった瞬間だった。
子供達が居なくなってから、目を瞑れば浮かんでくるのは子供達との思い出。
長男が産まれた時のこと、初めてパパと呼んでくれた時、保育園でパパと一緒にいたいと泣いてグズった泣き顔。
次男は二回とも僕の腕の中で熱性痙攣をおこし、入院した…痙攣した時の次男の顔を何回も何回も思い出す。
三男は全てを看ていた。抱っこ紐して上のお兄ちゃん達のお迎えをしたり、パパの側を片時も離れない三男。
そんなことを四六時中思い出す…
「会いたい」
ただ、それだけだった…
僕は待っている間、ただただ泣くことしか出来なかった…
走馬灯のように子供達の思い出がフラッシュバックする…
その度に涙が溢れてきた…
食事も喉を通らない…
目を瞑れば子供達を思い出して眠れない…
この繰り返し…
僕は子供達が居ない1週間、寝れた時間は全部で六時間程だった。
体重も15キロ落ちた。
たぶん、この時は生きてる方が辛かったんではないかと今では思っている。
それと同時に水面下では、探偵とのやりとりや、妻にバレないように言動には最大限の注意を払い行動し、妻を帰宅させるように演技をし続けた。
馬鹿を演じたのだ。
そして運命の日…
帰ってると妻から連絡があり、ずっとずっと起きて待っていた。
子供達の大好きなご飯を作った。
そして
何処からともなく聞こえる子供達の声
錯覚かとも思ったが、忘れるはずはない…
親ならわかるんだよ…
自分の子供の声は…
そして…
ガチャンっ
「パパ~」
全力で走ってくる子供達
今までこんなことは無かった
異様な光景でもあった
長男と次男の目には涙が溢れてる…
言葉が出ない…
嬉しさと安心感だけじゃない、様々な感情が入り交じる…
子供達を全員一緒に
包み込むように抱き締める…
子供達の前で初めて見せるパパの涙
溢れでる涙でクシャクシャになりながらも、声を振り絞る
「 … … … 」
『おかえり』
「 … パパ… …」
『ただいま』
ただの短い挨拶だけだよ…?
普段なら生活の一部であり、当たり前のこと
でも、
僕にとって、
その瞬間は、
今まで生きてきた中で
最高の時間であり、
かけがえのない言葉だった。
『おかえり』~完~