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初めての転職を決めたとき


この記事を書こうと思った切っ掛け

先日、社外セミナーに参加しました。セミナーが大変盛り上がったので、
セミナー後に参加者の皆さん(殆どの方が初めてお会いした方々です)と
一緒に懇親会を行いました。
因みにこのセミナーの参加者の多くは下記Voicyリスナーさんです。

懇親会内では人材育成やキャリコンなどのお話しをしていたのですが、Voicyリスナーさんが多いので、チャンネルの情報交換が始まりました。
その中、お一人の方から下記のチャンネル及び放送回の紹介を頂きました。

ご紹介頂いた方から、感動(泣ける)するとはお聞きしていたのですが、
聞いてみて自分のことを色々思い出してしまい、この記事を書くことに
しました。
是非、Voicyを聞いてみてください。

何故、初めて転職をしようと思ったか

兄の病気

私には6歳差の兄がいます。(当時、私は20代後半)
兄は私とは違い努力家で勉強も出来て、昇進も早く両親自慢の長男でした。
優秀な高校、有名国立大学(ちょっと大学で遊びましたが)に進み
一度の転職を踏まえて、上場企業の若手役員候補として関東の先進研究機関に赴任しておりました。

ある日突然、兄が帰任することになりました。
特別に仲の良い兄弟では無い(兄からは嫌われていたと思います)ので、
帰任しても特に何もしていませんでした。

それから数か月後に母から連絡があり、兄の体調が良くない。
かかりつけの病院や市民病院に行って診てもらったが、帰任に伴うメンタル疾患だろうと(後に知ったのですが、ただの帰任ではなく左遷でした)。
しかし、一向に良くならないので見に来て欲しいとの連絡でした。

念のため、義妹(妻の妹)が総合病院の看護師をしていたので、無理言って専門医の時間を確保してもらい。兄を総合病院に連れて行く段取りをして
実家へと向かいました。

実家について兄の姿にビックリ。
身長180cm以上の大人が家の中で歩けず、這って移動している状態。
慌てて、車に連れ込み(運んでとの表現が正しいかも)、義妹の待つ
総合病院に連れていきました。
急ぎ、お願いしていた専門医に診てもらった瞬間、脳の全検査
(CT,MRIなどなど)が決定し、当日に検査実施(義妹に感謝)しました。
結果、ゴルフボール大の大きさの脳腫瘍が前頭葉に見つかりました。

会社とは冷たいものだ

緊急入院。
並行して兄の会社への連絡、兄の会社からは今まで頑張ってきてくれたから
2年でも3年でも休んで良いから戻ってきてね。
まずは治療に専念してください。と温かいお言葉を頂きました。
会社の理解も得られたので、急ぎ手術手配となりました。

手術は無事成功したのですが、術後すぐは記憶が混濁している状態で
まずは身体的に元気になる事を望んでおりました。
その後も放射線治療が必要となり、長期の入院生活が決まりました。
そんな折、会社から解雇通知があり2-3年と言われていたものが半年も
持たずに解雇となりました。(詳細は分かりません)

後々分かったことですが、兄の左遷は会社の社長交代に伴う方針変更で
赴任先の上司が責任を全て兄に乗せて異動(左遷)させてとのことでした。
兄が全幅の信頼を寄せていた方です。
また、解雇は会社の業績悪化に伴い、方針変化で解雇になったそうです。
(後に聞いた話です)

この時、企業、会社というものの本質を見た気がします。
冷たいものです。。。

会社とは勝手なものだ

私は大学を卒業して、地元に帰り建設コンサルタント会社に勤務しておりました。
1年目の長期休暇の際に彼女(現在の妻)の祖父祖母にご挨拶するために遠方の祖父祖母の家に行っておりました。
その際中、会社から連絡があり、社長の親族が他界したので社葬をするから手伝いに来いとの連絡でした。(今では考えられないのですが、当時は休暇中の行先/連絡先を会社に報告しておく必要がありました。)
予定を切り上げて、社葬に参加しました(交通整理係)
当時はこんなものかと思っていました。
また、非常に残業が多く(毎日終電)、休日出勤も当たり前の会社でした。先輩や上司には恵まれていましたが、今考えればかなりなブラックな働き方だったと思います。

決意したタイミング

若くして結婚したこともあり、決して余裕のある暮らしでは無かったので、
夏休みに1回/年行くキャンプが家族旅行でした。
この年も多くの休日出勤があり、娘と遊ぶ時間も殆ど炉れておりませんでしたが、娘の夏休み最後の週末に家族でキャンプに行くことが出来ました。
バーベキューしたり、河川で娘と水鉄砲で遊んだりとても楽しい時間を過ごしていました。

そのキャンプの最中に会社からの電話が掛かってきて、大した内容ではなかったのですが、何のために働いているか分からくなりました。
家族のために働いているはずなのに、
 何やっているんだろう。
 家族と暮らすために働いている(お金の為)?
 何故、夏休みに娘との時間が取れないんだろう?
(娘を抱いて泣いていたことを思い出しました。)
もう、会社やめよう!

そもそも、限界だった

現実
 娘の顔を見られるのは朝ごはんの時間だけ
 妻と話す時間もほとんどない
 理想との闘い
 (子供といっぱい遊ぶ父親になる)
 
兄の病気、会社というものの現実

仕事のやりがい
 業務内容と希望の乖離
 会社への提言が受け入れられない(IT化推進)
 経験の欠如(異動に伴い実務経験が同期に比べて圧倒的に短い)

何度も朝出勤時に反対向きの電車に乗りそうになっていました。
いつも妻と娘の顔が浮かんで踏ん張って会社に行っていました。
(Voicy聞きながら、泣きそうになりました)
色々なことが重なり、もう限界だった。

妻に会社を辞めたい、妻や娘との時間を増やしたいと相談しました。
 給与下げないでね。
 どんな仕事しても大丈夫だよ。
 好きなことやってね。
 頑張ってね。
この瞬間から転職に向けて、本格的に活動を開始させました。


キャリコン関連の記事を書くことが多いのですが、こういう事も誰かの
役に立つかもしれないなあと思い書いてみました。



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