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モデル (例えばRACI) をどのように日々の営みに役立たせるか
プロダクト作りや組織活動でRACIを定義しようとすることは少なくないだろう。
私もRACIを設計したり、運用しようすることはよくある。が、それほどの重要視はしていない。RACI自体がダメだというのではない。この手の「現実の営みのために用意するモデル」について、過大な評価をしていないということだ。
現実の営みに「フタ」ができるほどのモデルを作ろうとしても、「具(現実のあれこれ)」が収まりきらない可能性が高い。モデルを精緻に精緻に、詳細に詳細に落とし込み、寸分の違いなく磨いていく…というのは幻想だ。
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そんなこと分かっている? そうですよね。では最初からモデルなんて作らず、現実でどうにかしていくべきなのか。…いや、一方でモデル自体も「最初の理解」をあわせるのには有用…というか無いと迷走したり、事が始められなかったりする。じゃあ、どっちなんだよと。モデルは要るのか、要らないのか。
まず、最初のアクションを行う分の認識を揃えるためにモデルをつくる。一歩踏み出せば、すぐにモデルの想定外に直面しはじめる。最初はモデルを修正して、現実と合わせていこうとするかもしれない。だが、モデルと現実の粒度違いなどもあり、追いつかなくなるのが見えてくる。そうなれば、やはり現実でどうにかしていくより他ない。ただ、共通認識ゼロの状態に比べれば、現実でどうにかするレベルも下げられる。その後、認識をあわせながら実際どうにかしていく。
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ある程度認識が揃い、現実を乗りこなしていったところで、必要に応じてモデルのアップデートをはかる。やはりモデルとして残したほうが仕事がやりやすくなることもあれば、中途半端にモデルを残しても仕方ない場合もある。現実に即して判断しよう。乗りこなすのはバーチャルな概念ではなくて、あくまで目の前の営みだ。