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「巨象」も踊れるのか

 かえすがえす思うことがある。「ロードマップとか、目標設定とか、そういったもので運営しているから、あわないんだ、遅いんだ、ダメなんだ」という言及。この言葉だけが飛び出してくると、いや、ごもっともですよね、になる。

 だが、どういう場所で言っているかによって、発言は疑わしくなる。もし、大企業などを指してそういうのだとしたら。本当に大きな組織で何かを動かしたことがあるのか?と、極めて怪しさが増す。

 10人20人のレベルではなくて、百、千、万とか数える規模になってくると「人が動く」ために何が必要になるのか、もっというと「自分たちが思い通りの方向に向かって動いていけているのか」をどのようにして把握するのか、極めて難しいテーマになる。

 自分たちがどう動いているのか、1人1人の人が端から端までを俯瞰し、理解し、その上で中のいち員として動く、しかもそれを持続的に維持する、というのは不可能だ。もし、それができるすべを持ち合わせているなら、すぐにでも国でも大企業でも売り込みにいくべきだ。

 かねがね、チームについては「一人の人間のような」状態を作ることを訴えてきているが、大きな組織でも同じようにというわけにはいかない。昔、IBMを巨象と例えた経営者がいたが、まさしく。自分のからだの一部なのにどうなっているか分からない、機敏に動き、立ち回れない。その様子は巨象であり、いまだ大きな組織を例えるのには適している。

 考えてみれば、古来の戦争では当然ろくなコミュニケーション手段もない中、万単位の人間が数時間の中でぶつかりあうということをやっていたのだから恐れ入る。正直言って、何がなんだかわからないままに終わる、目の前のことだけに集中する、とにかく生き延びる、くらいしか行動も判断もできないのではないかと思えてくる。こう考えるとごく自然とOODAである必要があるというか、OODAでなければ生き残ることができない。

 さて、冒頭に話を戻す。ロードマップや目標設定がなぜ必要か。自分たちがどういう状況にあるのかを捉えるために、またその状況が本来思い描いていた方向性と合致しているのか、外れているのかを把握できるようにするために、必要になる。ビジョンなる2つ3つのステートメントだけで、百、千、万の人間が一糸乱れぬ動きが取れるなら、苦労はしない。

 いやいや、だからそんな大人数で動かそうとするからダメなんでしょう。という声が聞こえてくる。いいでしょう、前提を変えましょうか。では、少人数で、どんな目的を果たしていくのか。それがその組織にとってどんな意味があるのか。合意形成しましょうね。

 「….そういうことが受け入れられない経営に問題がある」という声くらいまではあがるかな。そうですね、そのとおりかもしれませんね。
 で、あなたは何がしたいのですか。

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