アジャイルのつもりでいてアジャイルでない、「つもりアジャイル」
なんか違うアジャイルチームのイメージを4つほどあげてみる。
アジャイルの手順化
2週間に2時間だけのチーム
バックログ空焚き問題
アジャイル風味のWF
アジャイルのつもりでいて、アジャイルでない。つもりアジャイル。
「アジャイルの手順」とは、プロセスやプラクティスの「定義」に固執し、結果的に「手順」として見てしまっている。その結果、手順としてあっているかどうかの評価が優先的になる。この流れから、アジャイルをプロセスとして厳密に定義しようとしてしまう(アジャイル標準)。
「2週間に2時間だけのチーム」とは、2週間スプリントで2時間のスクラムイベント…でしかコミュニケーションがほぼなく、後はおのおので各自頑張れになっている。チームの2時間ではなく、2時間だけチームの状態。暗に個々の進捗の良し悪しが問われることになる。
「バックログ空焚き問題」とは、「言われたことしか開発しない」…ではないはずが、POとの間で役割の線を引き、「バックログがあれば開発する」スタンスを取ってしまうこと。結果的にReadyが間に合わず、スプリントでやることが無い状況に陥る。
「アジャイル風味のWF」では、間違わないように、正解を辿れるようにと、あらかじめの準備、定義、理解あわせ等に膨大な時間を費やしてしまう。「仕様書駆動」とまではいかないが、「自分たちがちゃんと考えられているか?」にこだわりすぎてしまい、結果的に正解を導くまで動かないチームになってしまっている。
程度の度合いはあれ、この4つのケースは珍しくないことと思われる。では、なぜ、アジャイルのつもりで、まったくそうではない「つもりアジャイル」になってしまうのか。
注意して4つを見比べると、いずれも共通性が浮かんでくる。それは、効率的に動いているか、判断できているか、ということ。効率性が重要なのは言うまでもない。ただ、いかなる局面でも、効率性が優先されるようでは意図しない事態にもなる。
長年の習慣に基づいた、ビリーフ (信念) とでもいうべき「ものの考え方」が根底にあって、変わっていないならば、どうしてもそのふるまいは歪んでしまう。「効率性」に過度に偏った、「自分の中にある原則」。これが組織的に養われてきている以上は、組織のどこを切り出したとしても同じになる。「チームの原則」も個人のそれと変わらなくなる。
新たなふるまいを取り入れよう、身につけようと動き出す際に、最初にやるべきなのは、新たな習慣やプロセスについて学ぶことではない。まずは、鏡をみることだ。自分たち自身にどんなビリーフが存在していそうなのか、自分たち自身の中を探索することにあると思う。