チームで何を 「重ね合わせ」 るのか?
まだチームになっていない集団(グループ、部門、プロジェクトなどで)が仕事を始める際に行うべきことは何か。「重ね合わせ」が一つ挙げられる。
そのグループで把握するべき「状況」について、まずもって可視化を行いう。その上で状況の理解を互いに合わせる。同じものを見ているようでも、捉え方、理解の深さが異なる場合がある。理解があってなければ集団の仕事として結果に結びつかない。
OODAループで説明するなら、2つ目のO(方向づけ)について各自の理解をあわせなければ、その後のDecideもActも見当違いのものになる。
(「組織でアジャイルの回転を繋ぐ」より)
「重ね合わせ」とは、スクラムでいうスプリントプランニング、スプリントレビューにあたる。もっというと2つのスクラムイベントを軸としたスプリントの活動そのものが「重ね合わせ」であると言える。
なぜなら、チームの各種合わせ込みはスクラムイベントによらず、スプリントの活動中常に行われて然るべきだからだ。OODAループは何もスプリントで1周と決まっているわけではない。その最小単位は1日、もっというと1時間にもなりうる。より活動を微分して、適応できるチームであるほど強い。
「重ね合わせ」で行うことは、単なるタスクの認識あわせだけではない。そもそも、人と人の間にある「関心」をあわせる機会でもある。
チームが、置かれている状況から何をなすべきか?あるいは何を獲得に動くと良さそうか? チームの一人ひとりが状況理解から推したい事案を表明できる場であり、それについて丁寧にやはり認識合わせを行う。
合わせる対象はチームの仕事とその成果に繋がるものだから幅広く、多岐にわたる。技術的負債についての見立てのことかもしれないし、ユーザーの利用体験を実地で検証し、その理解をチームでより深めることかもしれない。
こうした認識合わせがなければチームで取り組んでいる醍醐味も薄い。目の前に広がる状況をどう解釈するかは、その人の経験や知識に依るところとなる。それぞれの持ち味を活かしあうチームを目指そう。
さらに、「重ね合わせ」ているのは、「思い」でもある。それはチームに潜在する様々な意志や期待、願望に基づくものである。
例えば、チームとして、プロダクトとして、どうあるべきなのか。もっと高いレベルを目指したい、あるいはもっと余裕を持った取り組みで持続可能にしたい。こうありたいという思いこそ、合わせる機会が十分ではないことが多い。思いと、考えと、行動が一致しているチームもまた強い。
「重ね合わせ」るからこそ、どこまで合っていて、何が合ってなさそうなのかが分かってくる。すべてが合っていなくても、そのことを知っているだけで上手く適応できるという器用さが人にはある。「重ね合わせ」るから、背中をチームに預けられる。