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エンドロールに自分の名前を載せる。

 日本の人口が減っていく。この現実感がどのくらいあるだろうか。2018年という年はこの問題をリアルに感じさせる年だった。日本の総体としての人口が激減する前に、産業領域によってもう数年のうちに労働人口が減っていくことが予見されている。そのために具体的な打ち手が取り組み始められている、それが2018年だ。ITで問題に対処するために声がかかり、クライアントと一緒に取り組む局面が増えた。

 そもそも、こちら側の業界の人材も不足している。エンジニア不足問題はもう何年も言われ続けているが、解消する見込みは無さそうだ。どの会社、現場に行っても、人材に関して安寧としているところは無い。こうした状況下になると人よりも仕事のほうが目につくようになり、人は自ずと仕事を選ぶことになる。

 ソフトウェア開発の業界では人間をリソースとして「人月」という数え方をしてきた。今は、一人の人が一つの仕事に一ヶ月時間を費やすという状況は贅沢とさえいえるかもしれない。人の頭数を数える時代から、1人の人間の時間配分、何に時間を使うかという時間のポートフォリオが問われる時代へと変わってきていることを実感する。10人、20人とおおざっぱに人を数えて仕事を考える時代がかつてあったんだ、その頃は「人月」という単位があってね...と若者に思い出を語る時は遠くないのではないかと妄想する

 ギルドという組織、働き方を模索していると、明らかにひとりの人間に向き合って仕事を組み立てる時代になったと感じる。なぜなら、チームのあるメンバーはフリーランスで、一方のメンバーは副業で、さらに別のメンバーは大阪に在住していたりするのだ。それで、全員リモートワークでチームでソフトウェアづくりを行う、ということを当たり前のようにこなし、より値打ちのあるプロダクトの開発を目指していくということに挑まなければならない。10年前の私が耳にしたら、なんでわざわざそんな曲芸みたいな開発をしているんだ!と言うに違いない。

 さて、一人の人間の時間ポートフォリオが重視されるようになるならば、仕事を選ぶ基準は何になるのか、というのは良い問いだと言える。ただし、ここに統一的な答えを求めてはいけない。一人の人間が自立していけるようになればなるほど、その選ぶ基準は人それぞれで多様になるからだ。お金は引き続き重要な要因ではあるだろう。ただ、限界がある。対価がフラットに近くなったとき、果たして何でもって人に動いてもらうようになるのだろうか?

 私の仕事仲間の間で「エンドロールに自分の名前を載せたいかどうか」という、仕事に向き合う際の問いかけがある。この仕事のエピローグにたどり着いたときに、どこかでエンドロールが流れるとして、そこに自分の名前を載せたいかどうかで、引き受ける仕事の意味を考える。この仲間内の基準は、自分たちの手がけるプロダクトが意味のあるものなのかどうか、ということになる。

 基準は、コミュニティによって異なるだろう。つまり、人が「何でもって動くか」が複雑な時代になっていく。そこでは、何が提供できるかが問われることになる。人がエンドロールに自分の名前を載せたいというのは、その仕事の先にある結果、変化、未来を自分も共にしたいということだ。それは別の言葉で表現するなら、ビジョンだ。

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