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ハイウォーターマークは、嘘をつかない。

 この時期になると、人事異動や組織変更による変化、場合によって「劇的」と言っていいほどの変化が起こることがある。私も、私自身を含めていくつかの変化を得てきたので、実感がある。ときに、その変化の前に、なすすべを失った気分、膝から崩れ落ちるような感覚を得ることすらある。無力さを感じる。

「無力さを感じる」のは、それだけ「全体」を見えているからだ。

 自分が積み上げてきたこと、努めてきたこと、その結果の推移が見えているからこそ、目の前の変化によってすべてが帳消しになってしまうのではないか、またほぼイチからの出直しになるのではないか、そう思えてしまう。

 「全体」や「前後」の変化が見えていなければ、そのこと自体に気が付かないだろう。全体がよく見えている(見えていた)。まず、そのことには胸を張ろう。それは、ひょっとしたら組織の中であなたにしか見えていない「全体」や「未来」かもしれない。その努めが帳消しになるのではない。自分の中に、そして、自分の外にも、到達点は残り続ける。

 実際のところ、「全体」としては変化が無に帰っていくのも事実と言えるかもしれない。「全体」とはやはり全体であって、個々人で直接的にコントロールできるものではない。日々の営みの先にわずかでも影響を与えていく対象、それが「全体」なのだから。

一方、自分の「手元」はまさしくあなたの手のもとにある。

 自分が作り出した変化、前進、繋がり、成長は、嘘ではない。消えてなくなるようなものではない。「手元」にあるものは、あなたが次に踏み出す先で、間違いなく支えになる。

 かつて、「組織初の試み」に必要だった知と経験と、人との繋がりは、たとえ直接的にやることが変わったとしてもいきる。あなたの気持ちがゼロにならない限り、自ずと、自分で、いかすように考えられる。人間に備わる、適応力は伊達ではない。それは生存本能と言うものなのかもしれない。

 もう一つ、残るものがある。それが「水位標」だ。自分の中にも、外にも、残る。自分として出来たここまでのこと、それは、組織にとって初めて到達したところでもある。一旦、営みとしては引き上げてしまうかもしれないが、どこまで達したかという、ハイウォーターマーク(高水位標)は残り続ける。

 この組織でアジャイルがどこまで到達したか。その記憶が、次の判断の材料になる。「あれほどやったのにそこまでだった。だからダメなのでは?」「あれほどやってそこまでだった。だから次は違うルートや作戦が必要になる」という両方になりえる。

 もちろん、前者に陥るとビハインドになる。だからこそ、「傾きをゼロにしない」(truncateしない)ことに意味がある。

 組織とは、ポジな意味でもネガな意味でも、「失敗」というものを避けたがる。「あれは失敗だった」と言うことに忖度する。その特徴を捉えると、そう簡単にはダメにもならないということだ。「簡単には失敗としない」メンタリティが、始めたことの正当性、妥当性を担保し続ける。もちろん、そのメンタリティをどうにかしようとしていたはずなのだが、今は、そのことすら利用しよう。

 もし、あなたが組織変革に挑んでいるのであれば、こんなことを言われた経験があるはずだ。

「数年前にも似たようなことをやっていたんだ(またやるの?)」

 そう、歴史を遡ると、「同じ意図」の試み、活動があったことに気づく。大きくて、年代のある組織であればあるほど、その確率は高くなる。何かを変えるならば、まずその組織にあった歴史を紐解く(Fromを探索する)。どこまで到達し(高水位標)、何がネックとなって頓挫したのか。変革のポストモーテムから始めよう。同じ情報でも、見る人が違えば、違う学びになる。

 だから、自分の中にある「水位標」を記録しておくことを奨める。それが、次の礎になる。あなたの、ともすると、全く見知らぬ誰かにとっての。

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