5Sを通じて他者の視点を得られるようにする
製造業のDXに取り組んでいることもあり、昔懐かしい「5S」という言葉に出会う機会が比較的ある。5Sとは、整理/整頓/清掃/清潔/躾のこと。
5Sの主旨は2つある。1つは効率化。整理整頓しておけば、いちいちモノや情報を探し回ったりする必要がなくなる。ムダな所作が減り、余計なことに時間を費やす必要がなくなる。
もう1つは、意識の醸成。「割れ窓」の問題を防ぐ。割れ窓の問題、いわゆる「割れ窓理論」を最初に知ったのは「達人プログラマー」の初版だった。
些細なことであってもダメな仕事をそのまま放置していると、このくらいなら良いだろう、という心の隙、エクスキューズを生み出し、どんどんダメさ加減を助長してしまう。元ネタは、米国の地下鉄か何かでの割れた窓の放置が犯罪の助長に繋がるというものだったように思う。
5Sによって、些細な問題を残さないようにして、より大きな問題や事故への発展を防ぐようにする、そういう意識を自ずと育むのが狙いというわけだ。モノづくりにおいては引き続き重要な観点ではあるものの、時代を感じさせる。
さて、この「5S」にもう1つの意味があることに気づいた(あるいは思い出した)ものだから、文章をしたためることにした次第である。
それは、他者の視点を得るということ。整理、整頓、清掃、清潔、いずれも当事者としてだけではなく、他者から見て具合が良いかどうかを慮れなければ、ただ自分の仕事をこなしているのと変わらなくなる。ただ整理整頓のルールを守っているだけ。
誰にとっての5Sなのか、に立ち返られているかが大事。整理されているかどうか、整頓されているかどうかとは、他者からみてどうあるとそうと言えるのか。自分の視点に固着している間は、やっていることのレベル感は変わらないままだろう。5Sという活動を通じて、「他者にとっての最適化」という観点を得られるようにする。そういう観点を得るための訓練をしていると言える。
他者からどう見えるか、この視座を自分の視界の一つに加えられるようになっているかどうかは仕事で結果を出すための基本のキであることは言うまでもない。言うまでもないことだが、意外とここが弱い人と出会うことはまあまあある。
この手の話は5S業界では一般常識ではなかったかと、久しぶりにその手の本を1冊読んでみたが1つ目の主旨(効率化、自分が困らないようにする)の方が強くて、いまひとつだった。ひょっとして私のほうが誤解しているのか...?
ちなみに「他者」には、時間をだいぶ経てからの「自分」も含まれる。のちのちの自分にとって、も忘れないようにしておこう。