「探索」の度合いを外側の基準で決めてはいけない
「アジャイル」に取り組むには、より探索的なテーマや領域が良いだろう、組織にとって新規性の高いところ、分かりやすく言うと新規事業や新規のプロダクト開発などだ。…といった言い回しは、私自身説明として用いるし、「アジャイル」という言葉のそばによく存在する。
話がはやいので、それに乗せて会話を進めていくことがほとんどだが、この言い回し自体にミスリードを織り込みかねないと思っている。「より探索的」だとか、「新規性の高さ」とは、誰にとってのそれなのか。もちろん、当事者組織にとってのことだ。つまり、その度合いは相対的なものということになる。
「新規事業」まで言わずとも、自組織にとってこれまでは違う顧客に提供サービス、製品を広げる。あるいは、現状の課題解決に隣接する新たな課題に乗り出し、既存の顧客に働きかけていく。そうした少しの動きでも、これまでの時間を「昨日の最適化」に終始している組織にとっては、とてつもなく大きな探索となる。「これまで」に対する、越境的な一歩となるのだ。
ゆえに、「より探索的」「高い新規性」の度合いを組織の外側の基準で決めてはいけない。「アジャイルといえば新規事業なのだろう、うちの部署や現場では関係ない」に安易に倒れてしまう。これまでと一歩も変わらない日々を強くしているだけになる。
実際には、どんな事業や業務であっても、探索は必要だ。自分の仕事が目の前の顧客、従来の課題についてのことであったとしても。自分が変わらないと決めていても、顧客のほうが変わる。顧客を取り巻く環境のほうが変わる。
「今日」という時間を100%、「昨日の最適化」に費やすということは、過去に得た発見だけを頼りに日々を営んでいるということになる。いわば、「収穫」しかない。「耕作」がない農業をやっているようなものだ。必ずどこで尽きることになる。だから、日々の営みの中に、探索の可能性を自ら見つけにいく必要があるのだ。