"アジャイル開発"がそうだったように。私達はまた乗り越えていくだろう
先日、アジャイルジャパンに登壇した。タイトルは「アジャイルとは誰のためのものか」。アジャイルの広がりについて、アジャイルハウスに乗せて語らせて頂いた。
アジャイルに向き合っていくにあたっての難しさはどこにあるか。チームで仕事するためのアジャイルも、プロダクト開発のためのアジャイルも、乗り越えることができる。山場は、組織そのもののためのアジャイルに移ってきている。
どのようにして、組織そのものにアジャイルを宿していくのか? アジャイルへの適応そのものがジャーニーとなる。さくっと切り替わるようなものではない。
このうち、(1) 小さなプロジェクトで始める (2) アジャイルの学びを組織的に整理する (3) 全体と個別の2つの作戦を立てる、ここまでは組織の理解を段階的に得ていくことで辿り着くことができる。山場 of 山場は、(4) 誰もが認めるモデルケース作り にある。
アジャイルとは何か? アジャイルへの適応とは何か? への回答を理屈ではなく組織の中のリファレンスモデルとして揃えていく。しかも、「あの部署は特別だから出来て当然」といったexcuseを許さないような、組織内の王道的部署で結果を得る。ここが勝負所だ。
(5) 展開自体をアジャイルにする、とは、かつて書いたようにアジャイルに向き合う過程そのものを適宜変えていく、ということだ。組織アジャイルの過程そのものをアジャイルとして捉える。
組織アジャイルをより広げていくためには、今後もみんなで知恵を寄せ合っていく必要がある。"アジャイル開発" がそうだったように、それぞれの実践知が互いを支えることになる。
だからこそ、この先もアジャイルジャパンに集う、みなさんと突破していきたい、というメッセージでお話を締めた。
実は、このスライドの前に、「あと5年」という自分に設定した期限を言及する一枚を入れていた。自分に自分で課した「あと5年」という上限があるからこそ突破を諦めないという決意。
だが、実際にはトークの数分前に「あと5年」のスライドは落とした。の先に、そんな悲壮感までみなさんと分かち合う必要などないと思ったからだ。
アジャイルジャパンの1日目に、見知った人たちとの久々の会合を果たした。多くの人々がこのコロナ禍を経て、新天地にたどり着き、トランスフォームしている。現地で垣間見たのは、多くの朗らかな表情だった。新たな場所での希望をそれぞれで得ている。そんな顔が集まる場で、「私はあと5年」なんていうのは野暮もいいところだ。
それぞれの場所で、それぞれ芽吹かせていこう。こうして、1年1年再会できる場所はあるのだ。また、再会を期して。