「結果」のほうを見るのではなく、「初速」のほうをみる
組織をどうこうする、という話は難易度が高い。難易度が高いというか、「前人未到」に近いと言って良い。冷静に考えてみれば、その組織でこれまで実現できなかったこと、やれた試しのないこと、はじまりもさえしてこなかったことに取り組むというのだから「前人未到」は何も言い過ぎではない。
そして、ある組織にとっての難題というのは、他の組織にとっても同様であり、共通の問題だったりする。つまり、世の中に手を伸ばして探れば、簡単に解決策が見つかるというものでもない。
よしんば、「何をするべきか」は分かっていたとしても、他ならぬ目の前の組織で取り組み進められるかはまた別の話だ。組織が置かれている現状、とりまく環境・状況は、組織によって異なる。
そもそも「物語」の登場人物自体が違う。同じように解決策を適用しようとしたところで、組織によって条件が違う。同じような問題であっても、同じように解けるわけではないのだ。
だから、業務のあり方を変えよう、プロダクト開発を変えよう、アジャイルを組織に宿そうとか、いったことはどれ一つとっても簡単なことではない。そんな簡単なことに向き合い続けよう、というのが私達の取り組み方なのだ。それは、ときに気は挫かれ、落ち込み、何事も厭わしくもなる。
この裏側には「思うようにならない」、いや、「何一つとっても思うようにはならない」という気持ちが見え隠れしているはずだ。分かっている、みなまで言うな、こちらも分かっている。「思うようになる」と思って、やってはいない。だからこそ、変化への挑戦を始められているのだから。それでもなお、よぎるのだ。本当にどうにもならんな、と。(それは私も同じ気持ちになるから、よく分かっている)
この時、視線は結果のほうを向いている。つらみを感じるのは、結果に目をやったときなのだ。仕事を論理的に組み立てる、作戦を立てるときは結果をこれでもかと想像し、仮説立てする。その延長で自分自身を見ないほうが良い。自分をみるときは「初速」のほうだ。
つまり、結果のほうを見るのではなく、初速のほうをみる。繰り返しだが、結果についてはいつもいつもどうにかできるわけではない。しかし、「最初に送り出す勢い」については、いつでも自分たちの思い通りでしょ(自分たちの思い次第でしょ)。
どれだけ意志や意欲を込めて、取り組みを始められているか。その気持ちがあればこそ、組み立てる作戦にも、周囲の巻き込みにも、その実行自体に勢いが生まれる。最初の段階の速度感はその後を有利に導く。「速い行動」は「早い学び」に繋がる。早いピボットは、いち早く本質にたどり着ける可能性を示す。だから、初速が出ているか、初速がある取り組みができているか、のほうに自分の注目を向けるようにしよう。
「それって、単なる勢い倒れと言うのでは?」
いいんですよ。やってることは「前人未到の挑戦」なんでしょう。ただでさえ分が悪いことをやっている上に、自分の気持ちの足を引っ張ってどうするんです。自分のことを支える仕組みを作ることも、あなたがやることのうちに入っていると思おう。自分の屍を自分で乗り越えていくだけなんです。