組織も一つの「プロダクト」として捉えるならば、何が要る?
日々、様々な「組織を変える(DX)」という文脈の渦中に身を置いている。
その中で、拠り所に出来ることは極めて少ない。組織を、どう変えて、どこにたどり着けば良いのか? 実際のところ、目指す姿も、そこに至る道程も、はっきりとしていない場合が大半だ。
だから、組織関係者一同ほぼ手探りで臨んでいくことになる。組織の中に手がかりと呼べるものもほとんど無い中で臨むことになる。状況は常にあいまいで、ある種の気持ち悪さを伴う。何しろ組織にとって「DX」なんて初めてのことなのだから。
これまでの組織の考え方からすると、初めてのことだからこそよくよく考え練り上げて臨みたい、となる。ところが、そこにどれほど時間をかけたとしても、そもそもの判断材料、情報に不足がある以上は「既に分かっていること」を越えて、成果にたどり着くことは難しい。
以下のシンプルな構造に則ると、インプット (知見) が足りていないということになる。
ではどのようなインプットを補えば良いのか。必要なインプットは獲得したいアウトプットや目指したいアウトカムに依ることになる。ゆえに、先にアウトプット、アウトカムを見定める必要が出てくる。
ここで獲得したいアウトプットが明確で、既にプロセスとしてのベストプラクティスがあるというならば、プロセスを置き換える、補完すれば良いことになる。
ところが、アウトカムに「自組織に適したデジタルトランスフォーメーション」といった具合の、「どんなアウトプットを集積していけば良いか分からない期待」を置いた場合どうなるか。もちろん、インプットもプロセスも、何が正解になるか分からなくなる。
そもそも得たいアウトカム自体がどうあると良いか分からないのだから(誰にもね)、結果からどうにか判断していくしかない。
この「アウトプット検証」をどれだけ積み上げていけば、アウトカムを定義できるのかも、事前に決めることはできない。だとすると、アウトプット(取り組みの結果) から、その検証を行い、方向性として望ましいのかどうかの判断を行う、その機会を必ず設けるようにして臨むより他なくなる。この機会のことを「むきなおり」と呼ぶ。
極論、何が成果とみなせるのか、最初に描く方向性はその時点での仮説で良い。というかそれ以外置きようもない。まとめると次のようになる。
ここから言えることは組織は少なくとも「むきなおり」を手にしなければならないということと、そもそもDXや組織変革に向かう道のり自体が仮説検証になるということだ。それっぽいゴールを決めて、後はKPIを決めてその進捗管理をしていけばどうにかなるというものではない。ゴール自体が確かではないのだから。
このあたりが、まずこれまでの組織の感覚とは合わないよね。「目指したい姿自体があっているかどうかわかりません!」って、なかなか言えたもんじゃないよね。
でも、組織も一つの「プロダクト」として捉えるならば、この「プロダクト」がどうあると価値あるものになるのか模索する、なんてというのは新規の事業やサービス作りの文脈で言えば当然のことになる。
さあて、問い直そう。そのDXが、組織と組織を取り巻く社会にとって、価値あるものだと、いつ分かったんだっけ? 世の中の声を聞きにいこうか。