「次のスプリント」のための回転数を自分で決める
前の会社を離れ、今の会社を立ち上げ直して、おおよそ1年が経った。わずかまだ1年かと思うし、その一方で2-3年分くらいの価値があったとも感じる。つまり、「学びの回転数」が高かったということ。
常に、回転数を振り切れるものではない。日常というジャーニーには、濃淡があるし、作らなければ続きもしない。ただ、意識的に回転数を高める時期を作ること。新たな段階へ進む際のお約束。
新たな取り組みを始めるのだから、まずは様子を見つつ...は良しとして、だが選択肢を一つに絞り込むことが上策とは言えない。「一つの選択を時間をかけてやる」そういう臨み方が相応しい領域があるのは勿論として。自分にとっての新境地を切り開く際は、そもそもの「打ち手の数を増やす」ことをファーストとしたい。
「失敗から学ぶ」を是としながら、肝心の失敗の数が少なすぎることがまままある。これでは「"失敗しても良し" とするというエクスキューズ」を得ているだけだ。「"失敗から学ぶ"の罠」と言ってよい。
「失敗から学ぶ」のであれば、ある期間における失敗の数を問うようにしたい。言い換えると、圧倒的な試みの結果から、学びを得ようということ。その結果がいわゆる成功か失敗かを第一義にしないこと。この順番を間違えるから、エクスキューズや周囲の理解が得られなかったりする。
圧倒的に試みるためには? 当然、そもそもの行動量を増やさないと「圧倒的」にはならない。
短期間で圧倒的な学びの題材を得る。すると、「次のスプリント」で、圧倒的な行動の最適化が働くことになる。行動を成果をへと転換するタイミングを、随分と手前に引き寄せられる。これが「早く失敗をせよ」の真意。
ところで「次のスプリント」とは何のことか? もちろん、人生における次の時間のこと。それは、来年のことかもしれないし、明日のことかもしれない。その瞬間をどう捉え、決めるかは、言わずもがな本人に委ねられる。そうやって、自分の人生のケイデンスを決めるのだ。