カイゼンハックとカイゼンジャーニー
「カイゼン・ジャーニー」という本を書いたとき、タイトルを「ハック」にするか、「ジャーニー」にするか議論になった。むしろ、最初の企画は、「カイゼン・ハック」の方になっていた。それを「ジャーニー」に変えた。内容的に「ジャーニー」のほうがふさわしいだろうと考えたためだ。
結果という観点からこの2つの意味を捉えておく。「ハック」とは、最小限の時間で劇的な成果を生むすべのことを指し、「ジャーニー」とは、段階的に結果を積み重ねて成果を目指すすべのことを意味する。
考え方は真逆のように見える。短期間で望ましい成果を挙げられるやり方と、状態の積み重ねを前提とするやり方。ハックとジャーニーを二項対立的に捉えると、ハックの勇ましさの方がうけるだろう。いかんせん、効果をいちはやく手に入れられそうだ。
だが、そもそもこの2つの考え方を直交的に捉える必要はない。ハックの視点だけだと、本質的な変化については前提から外れがちになるだろう(「最初の成果を挙げられはするが核心には届かない、ものだ」)。
一方、ジャーニーの方は、やたら時間がかかることを前提に置いてしまいかねない(「結果を積み重ねるためには時間がかかる」)。もちろん、結果を出していくにはその必要とする時間がかかるものだが、ジャーニーで意識的に重ねるのは時間ではなく状態だ。ある望ましい状態に到達するのにかかる時間はチームによって違うし、取る手段によっても変わる。
そう、ハックとは取る手段のこと。ジャーニーにおける作戦の一つにあたる。ジャーニーによってはハックが存在せず、正面から取り組むよりほか無い場合もある。
書籍「カイゼン・ジャーニー」は、プラクティスを数多く扱い、ハックガイド的なイメージを持っているが、その本質は段階的な変化にある。一人からカイゼンを始める、そしてチームで取り組む、さらにチームの外側にいる人達ともやれるようになる。
目指したかったのは、フラットにプラクティスが並んだだけの手引書ではなく、読み手の現実の状況に、その段階ごとに寄り添う存在。
「カイゼン・ジャーニー」というタイトルにはそんな思いを込めている。