「探索だけ」行う、「適応だけ」行う、ではなく「探索と適応」を繰り返す
常日頃、「探索と適応が不可欠だ!」という話を至るところで行っている。
それだけに、そろそろ概念の整合を取らないと、ちょっと辻褄合わないなと思うところがある。人にモノを伝えようとすると、口にした瞬間に概念の「くるい」に容易く気づくことができる。
探索と適応は、「仮説検証型アジャイル開発」とその並びのイメージを合致させている。
なのだけど、前半の仮説検証にしても、ベースとなる動き方は「アジャイル」になる。仮説検証だけウォーターフォール的なプロセスで、後半だけ「アジャイル」という考え方にはならない。このあたりが、伝わらないことは結構ある。「反復して適応」の運動は、この絵の頭から最後まで共通となる。
また、逆に後半のアジャイルにしても、選択肢の「漏斗」がかなり狭くなっているので、MVP特定後は淡々と作っていく、という読み取りができなくもない。そうではなく、後半の「つくる」段階においても、探索は存在する。「ソリューションとして何をつくるべきか」という仮説検証は前半で済ませておきたいところだが、MVP特定後も「ソリューションをどう実現するか」という観点で探索は続く。
もう少し分解すると、つくっていく中で「実現手段の選択」と、「つくりながら学び気づく」の両面が存在する。後者に関しては、場合によっては前半で検証して特定したつもりの「課題仮説」自体が揺らぐこともある。もちろん、その発見は歓迎するべきだ。
と考えると、探索と適応なるものは偏ることなく、全体に渡って存在するのである。このメッセージが伝わり切らないとまだ中途半端と言える。概念の整理は次のようになる。
この概念は、ソフトウェア・プロダクトの世界だけのものではない。ソフトウェアが関連しない、事業や業務においても必要とされる(マーケティング、セールス、カスタマーサクセス…)。効率への最適化で、かえって非効率の安定化に達している組織においては、価値とはなんぞやに立ち返り、このプロセスを辿っていく必要性がある。ここに気づくきっかけがいわゆるデジタルトランスフォーメーションであり、実現のために「組織アジャイル」が期待されるという構図になる。
「仮説検証型アジャイル開発」というワーディングは自明ながら、ソフトウェア・プロダクト開発を前提に置いている。このワードだけで、語り伝えようとするとやはり「なんだITのことか(関係ない)」を招き寄せる。新たに価値を探索し直し、その実現を行う活動を指して「価値開発」、もう少し補足すると「アジャイル型価値開発」と称するのがより広範囲には適していると感じる。概念として言っていることは同じだが、選択する言葉は丁寧に選んでいく必要がある。