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「相手の勝ち」と「自分の勝ち」
2020年になってから、自分の中に新たな方針を一つ置いた。それは、「相手を勝たせる」ということ。なんのかんの理屈や建前はいろいろと世の中にはあるものだけど、支援業の本質は「相手を勝たせる」これに尽きる。
勝つといってももちろんいろいろとある。勝ち得るの「勝ち」とは、「価値」のこと。相手によって勝ち(価値)の中身は違う。ある事業の状況を突破させることかもしれないし、組織にアジャイルな内製チームを生み出すことかもしれない。当然、ビジネス的な勝ちがあがることもある。ビジネス的に勝てなければ、組織や経営者ごとすっ飛ぶことがあるのが今此処の現世だ。
また、勝ちたい中身も時とともに、状況の変化とともに変わる。だから、何が勝ち(価値)なのか、追い続ける必要がある。追い続けるといっても、のべつ幕なしでは、人も組織も集中と関心が持続しない。ジャーニーのようなタイムボックスを設けて、旅のごとく時を進めていく必要がある。
相手に勝ちを得てもらう、それは相手が顧客やユーザーだったら誰もが普通に考えることでは? そのとおり。そうでなければ事業もプロダクトも立ち行かない。ただ、個人の視点に立った時、「相手の勝ち」と「自分の勝ち」どちらが本当のところ、意思決定上優勢になっているだろうか?
昔は、「相手と自分の勝ちを51対49にせよ」と言っていた先達がいた。自分も若いなりに「そういうものか」と納得していたが、その後果たしてそんな割合で生きてきたかどうかというと? とてもではないが胸を張ることはできない。
これも年齢による環境の変化あるいは、環境の捉え方によるところが大きいのかもしれない。30代は概ねに言って「自分を勝たせる」が優勢で構わないと思う。そのくらいの野心でもって世の中を捉えておいて、とはいえそれほど勝てるわけではないので、結果ちょうど良い感じになる。もちろん、自分の勝ちだけしか考えない、を奨励しているわけではないので念の為。
40代、というか自分のミッションの置き方で勝ちの優勢は変わる。先日書いたとおり、時の限りあるタイムボックスを置くと、ものの捉え方が変わる。例えば、あと8年と考えたら、「自分の勝ち」に強くこだわる理由がなくなる。
すると、自分の取れる判断や行動にさらなる広がりを感じるようになる。視座、視野の移動の重要性を説きながら、まだまだ自分自身が意識の外に置いていた領域があることに気づく。越境には、限りがないということを未だに学んでいる。
自分の負けのようなものを強く感じたとしても大丈夫。そういうときは、打ち寄せる波の形を眺めていたり、木々の緑越しに日の光を仰ぎみていると、自分の負けなんて些細なことだとすぐに思える。家族の笑顔もまた、そんな気持ちにさせてくれるはず。コロナ以前はそういうことにも全く気がついていなかった。
ただし。何でも勝たせたいわけではない。相手の勝ちが、社会にとっての価値へと繋がること。私の場合はここを見ている。それは自分が自分自身に課しているミッションそのものに至る。