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After GPTでは「DX」の価値が相対的に変わり、個人にとっては「実現戦略」の扉が開く。

 「とうとうこの日が来てしまった」という感覚が、日を追うごとに増している。もちろん、GPT周辺に関することでだ。

 2023年に入ってから、個人的にも重要な変化がいくつか起き、ポジにもネガにも振れながらどうにかやってきていた。ところが、そんなことをきれいさっぱり流し切るくらいの「うねり」が、昨今の急激な変化だ。
 この数ヶ月の話ではない。下手すればこの3年のことを洗い流してしまうほどの。3月が終わる声を聞く頃には、私自身の考え方、価値観にまで影響を及ぼし始めていることをはっきりと自覚するようになった。

「とうとうこの日が来てしまった」というのは、AIのポピュラー化による日常の仕事における変化や、日常生活への影響の大きさを単に差してのことではない。私が感慨を抱くのは別の切り口だ。「DX」という営みの相対的な価値の変化について、である。

 DXに寄せていた期待とは、企業の大小を問わず、組織や事業としての行き詰まりを突破せんとする組織変革にある。日常業務のデジタル化推進に始まり、人材育成、新たな事業価値創出への挑戦、そして組織の判断基準の変革。数十年分の組織負債に対する突破口を作る。
 DXには組織変革の「希望」が内在している。「伝統」によってどこにもいけなくなっている組織でも、まだ間に合う、まだどうにかできる、そうした「祈り」にも近い、「願い」に下支えされているところがあった。

 ところが、GPTによって「追いつきたい世界」のほうが圧倒的に進み、さらにはるか先へと跳躍し始めている。

Before GPT
組織の現状 ---> デジタル化された社会
 ※ このFrom-Toのギャップを埋めるのが「DX」

After GPT
組織の現状 --->  (デジタル化された社会) --- || ---> AI化された社会

 After GPTにおいて、どのようにしてこの変化に組織として向き合うのか。いつか通り過ぎるだろうと頭を縮めて様子を見るのか? 身を守るためにChat GPT自体を使えなくしてしまうのか? これまでもあった革新的な変化に際してとまた同じ轍を踏むのか。どう考えても、そんなスタンスでこの先があるはずもない。

 もちろん、組織に限った話ではなく、個人としても同様のことだ。「組織のスタンスに自らの身を任せ、上手いことなれば良い」という希望的観測が実現することは無い。これまで以上に、組織と個人の指向性を独立して捉えよう。
 何も「生存戦略」のようなネガなバイアスだけをかける必要もない。むしろ、私達は圧倒的な生産性を手にし始めている。これをどう活かすか、今やっていることをどう変えるのか、そして、生まれてくる余力で何をするか。可能性のありあまる、「実現戦略」を自ら描いていこう。

 一週間一週間、一日一日で、問われる世界に突入している。いまここのスタンス、時間の使い方で、この先のことが大きく変わっていく。今動かしている、その手にある仕事、やるべきとされることは本当に未来に繋がっているのか? 一人ひとりが問われているのだ。自分のハンドルは自分で握れ。

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