「熱量マネジメント」を自分たちで行う
組織としてこれまでの取り組みが弱いところ、あるいは組織初の取り組みを手掛けていく場合。「私がやらねば誰がやるんだ感」が自分自身を励まし、後押ししていくことになるだろう。この手の「越境活動」(組織内に前例がない取り組み)の最初の原動力は他ならぬ自分自身の中にある熱分に他ならない。
最初はそれで良い。一方で、初期段階は極めて燃費が悪く(投入する熱分に対して、進みは牛歩だ)、「次の段階」に向かう頃には底をつきはじめる。一人の思いだけでは持続させていくのが難しい。「次の段階」では、発起人・リード役だけではなく、チームとしての熱分を期待したくなる。そのためにはチームでの継続的な「対話」が欠かせない。
問題は、さらにその先だ。「さらに次の段階」では? 要は、熱量マネジメントは延々と続くことになる。
さらに次の段階においては、意図的に自分たちの活動をエンドースメント(承認、後押し)してくれる人を組織内に見出そう。最大のポイントは「意図的に」だ。良き活動、使命感ある組織、すなわち、組織の誰もが後押ししてくれて然るべき。そんなことは思っていないにしても、どこか、そう思いたくなる気持ちはよおく分かる。これは本気で困難な越境した人にしか分からない心情だ。「そんなの甘い」とか、傷口に塩を塗るような言葉は要らないのだ。
その上でなお、自分たちを励ましてくれる第3者の存在を、自分たち自身で作り出さなければならない。誰かがきっと見てくれている、というのは捨てる。そうでなければ、持たないからだ。いつ尽きるか分からない、自分たちの熱量マネージ上、「いつか誰か」では不確実性が高すぎる。あくまで、自分たちのハンドルは自分たちで持とう。見えない、誰かに、そのハンドルを委ねたつもりになるのはよそう。
ここで、エンドースメントという言葉は意図的に使っている。「組織内の支援者」とすると、直接的間接的に見守り、支援してくれる人であれば誰でも良いようにも読める。そうしたコミュニティ的周辺環境が形成できることは極めて重要であるが、組織内で越境活動を持続するためには組織としての承認、いわゆる「お墨付き」感を得ていくことが現実的には期待される。然るべき人からの後押しを段階的に得ていく、そういうイメージを込めている。
第3者からの後押しによって、継続し、拡大していくことができれば、また新たな仲間が得られるし、自分自身への自信に繋がる。その自信が、また次の一歩を踏むための熱分を支えることになる。「自己循環」の仕組みをイメージしよう。