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「その組織にとって、なぜアジャイルなのか?」に答えることが難しいのは、理念に触れなければならないから

 ゴールデンウィークに突入せんとする4月の末に、「組織を芯からアジャイルにする」をテーマとしたイベントウィークを開催していた。一週間、昼夜何かしらトーク勉強会を催すというのは、まあラクな話ではない。
 しかも、社内コミュニティの回で書いたとおり、「発起人は意図的に黒子に回らなければならない」に則り、母体となるコミュニティの運営から私自身は外れていたので、慣れない皆さんで臨む必要があった。有志のコミュニティ活動とはいえ、場作りに取り組まれた皆さんにはお疲れ様でしたとその健闘を讃えたいと思います。
 なお、ウィークイベントの模様は、このあたりから読むことができる。

#シンアジャイル note

 私のほうからは最後にこれまでの芯アジャイルの総集編的にまとめた内容をお届けした。「組織を芯からアジャイルにする」は、「正しいものを正しくにつくる」への道に通じる。組織の内と外での学びを、鼓動 (スプリント) に乗せて、伝播させていこう。コミュニティはその媒介の一つとしての役割を果たす。

 こうした一連のイベントとゴールデンウィークも終える頃に、ある組織に向けたアジャイルの小さな "経典" を描き下ろしていた。アジャイルについてのプラクティスを語るだけならば、組織の中の人でもできる。だが、なぜアジャイルなのか?を語るためにはまだ力添えが必要となることが多い。
 なぜならば、語るべきはアジャイルそのもののWHYではなく、「その組織にとって、なぜアジャイルなのか?」という理念について言及しなければならないからだ。これはとてつもなく難しい仕事だ。
(ちなみに、HOWだけで留まればプラクティスガイドであり、WHYまで踏み込むからこそ "経典" と称している)

 他ならぬ自分たちの組織になぜアジャイルなのか。これに答えるためには、アジャイルの芯にあるものは何かを理解した上で、さらに対象となる組織のFrom (現状、これまで大事にしてきたこと) と To (これから、どこに向かっていきたいか) を踏まえる必要があるからだ。

(1) アジャイルの芯にあるもの
(2) 組織のFrom (現状) - To (向かう先)

 (1)について語るには、アジャイルに関する相応の経験と探究がなければ浅いものにとどまってしまう。だから、たいていの場合組織内で語れる人がいない(だから外部の知見を頼りにする)。
 一方、(2)について語るには、中の人としての当事者意識がなければ、やはり的外れのものになってしまう。さもなくば、外からとってつけただけのToと手段としてのアジャイルを悪魔合体させたようなヤバいものが生み出される。

 そう、「その組織にとって、なぜアジャイルなのか?」を深く深く突き詰めていくには相当な条件が揃わないといけない。私の立ち位置は "外側" のため、いかに中の当事者感覚に触れ、その感じを自分の中にも宿せるかが問われる。
 最初から2年3年かけてのんびりやっていこう、ということはまずない。比較的短期間のうちにどれだけ、「中」感を得られるか。もちろん、行き過ぎてそのまま「中」感に引きずられていくと、今度はFromからToへと向かえなくなる。「とはいうものの」「せやな(仕方ないな)」が次の句として多用し始めると危うい。

 気がつけば組織の境界で "ウロウロ" している。おそらく、この絶妙の "ウロウロ" がむしろ必要であり、中の人たちとともに何の拠り所もない探検に臨んでいくよりほか、組織としての突破口は無いのではないかと思う。こうした "ウロウロ" する者同士が出会う場が社内外を問わず "コミュニティ" であったりする(皆暇を持て余してコミュニティに出てきてるんじゃあないよ)

 なお。この "ウロウロ" は再帰構造になっている。大きな組織やグループ企業においては、"ウロウロ" できる外の人材を得た、変革部署 (DX推進 / 経営企画 / 情シス…) が同じく組織内を部署ごと "ウロウロ" と、現業部門、事業部門への働きかけを行う必要がある。
 そうして越境する力を得た事業部門が組織の外へとはみ出していき、これまでの事業とこれからの価値創出の間で "ウロウロ" することになる…。

 組織をもっと "ウロウロ" させよう。そのためにもまずは自分が "ウロウロ" しにいこう。

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