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金曜日は、「つくる時間」にする。

 仕事でたっぷりと時間を確保したところで、だらだらと時間をただ使ってしまうだけ。だから、「あえて時間の制約を置いた方が良い」というのには同意なのだけど、一方で「計算立てずにただ時間を確保してそこで考えるままに任せてみる」ことで新たに考え至るところもある。この両方が成り立つにはもう少し前提が必要そうだ。そして、思いついたのが「片付ける思考と、つくる思考」という分け捉え方だった。

片付ける思考

 片付ける思考が必要なのは、今までのやり方でできる限り早く仕事を倒したいような局面。早く完成させる、数多くこなす、が求められるような場合。片付ける思考の場合は、当てる時間を出来る限り短くする。

 私は、自分のタスクのプランニングをすべてGoogleカレンダー上で行っている。 

 毎週の1週間プランニングと日々のプラン修整の中で、タスクに当てる時間を30分、1時間と時間割の設計を行っている。30分、60分のタスクは「片付ける思考でやれ」という自分へのメッセージになっている。

 与える時間を短くすると、考えを広げる時間がゼロか限られることになる。ゆえに、その仕事の処理のために使うモノサシ(考えの基準)も、いつものものとなり、使う道具も定番のアレということになる。いつものパターンでいく他には、その時点で「最近よく使っているモノサシや道具」をあてる判断もある。いずれにしても思考の幅は狭まり、その分処理が早い。

つくる思考

 一方、考えを広げたいとき、ゼロから考えたいときは、つくる思考が必要になる。タスクのプランニングの上、2時間をボトムで、それ以上の時間をあてるようにする。どのくらい時間をあてたら、どんな結果になるか、法則性がないため、出来る限り長い目の時間をあてるようにする。

 時間を長く取ると、思考に余白をつくることになる。余計なことを考えられる時間が取れる。当てるモノサシは多様になるし、普段使っていないものも引っ張り出せる。あるいは、モノサシ自体や道具の開発を行うこともある。コルブの経験学習モデルでいう、抽象的概念化の時間だ。

 長い目の時間をあてることで、意識的に思考を広げているところもあるし、実際には自分の意識の外で「思考が広がる」という期待も持っている。自分でコントロールできない領域に影響を与えるためには、自分の外の環境を工夫するしかない。

片付ける思考でつくる思考の時間をつくる

 こうした長いめの時間を確保するのは、日常の中では容易なことではない。だからこそ、片付ける思考モードが時間確保のために活躍することになる。具体的には金曜日を丸一日空けるために、他の4日をかなり切り詰めたスケジュールにするという形で、つくる思考のための時間をプランニング時点で確保する。

 「考える時間を取るために、(全般的に)余裕をつくろう」というのは、現実的には難しい。「おおむね、余裕があります」という日々がこれまで果たしてどれほどあっただろうか。訪れもしない状況を願い続けているだけより、毎週の2時間、4時間のほうがよほど意味がある。

 実際のところ、ある仕事の処理で想定外の時間がかかったり、突発的な何かが入ってくることがあるので、そうして確保した時間でカバーすることもあり、バッファのような位置づけにもなる。なので、自ずとつくる思考の時間は、金曜日になりやすい

 つくる思考の時間が一週間の中で無かったり、少なかったりすると。だんだんと息苦しい感じになる。ひたすら何かを処理し続ける機械になる。まさしく自分の消費であって、自分を創造している感覚が乏しい。仕事に疲れていても、疲れていなくても、金曜日くらいはつくる時間にしよう、というのが自分の考え。

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