スクラムマスターやプロダクトオーナーがいなくて、アジャイルができるのか?
関与する組織によっては、スクラムマスターがいない、プロダクトオーナーがいない、ということがありえる。
経験的にいないにも等しい、兼務でほぼいない、物理的に本当にいない、いずれの「いない」がある。まともに考えればスクラムに取り組む状況にはない。というときに、支援者としてどういうスタンスを取るか、は2つに分かれるだろう。
「いない」では話にならん。経験がゼロならまずスクラムガイドを読むところからはじめよ。しかる後に、自分たちにどのような支援が必要になりそうか、自分たち自身でまず言語化せよ。兼務でほぼいない? まず、その状況を整えることからはじめよ。スクラムに取り組む「レディ」にするのは、前提と心得よ。
というのは、フレームワークの支援者として、まともなスタンスだろう。"ある「型」を学び、その「型」に則り、自分たちの仕事を構築しよう" とするところを支援する。その自発的な準備や、体制の確保は、学び手側に求められるところだ。
一方、もう一つのスタンスがある。
経験的にゼロでは、何から学べば分からんし、何より自分たちの状態にあった始め方も分からんよね。何を目指して(To)、自分たちの現在位置はどこにあるのか(From)、から捉えようか。その上で、取り組み方を考えてみよう(でも、スクラムガイドくらいは読んでね)。兼務でほぼいない? では、この活動にさける稼働をまず明らかにしましょうか。その具合によっては、スクラムマスターはできないかもしれないし、できないなりにどんな経験を獲得していけば良さそうか、考えてみましょうか。
後者は、ある「型」の学習を主たる活動の一つに置いてはいるものの、焦点はそこではない。あくまで、「どのような変化を起こすのか」においている。仕事、開発、組織のあり方に「変化」をもたらすこと、そこに目的を定めている。
だから、FromからToの考えを取り、「いない」は制約として捉え置き、その上で何が一歩目になるか講じよう、とする。つまり、場合によっては、「型」に則ることからも外れていく。
「型」の獲得と、「変化」を起こすこと、そもそもの狙いの置き方から異なるため、どちらが正しい正しくない、という話ではない。もちろん、ここに応じて支援者の責務やスタンスも変わる。ただ、主体者の狙いと、支援者のスタンスが一致しているか、ここは問わねばならない。でなければ、いずれにとっても生産的とは言えない。
その上で、「(物理的に)いない、おけない」っていうのは、さすがにどうしましょうかね、という空気にはなる。