プロダクトチームの近視化、そして老眼化
プロダクト開発に限らないが、必ずと言って良いほど陥る現象に「プロダクトチームの近視化」がある。どういう意味か。遠くが見えなくなることだ。
プロダクト作りは難しい。何を作るべきかの解像度をあげながら、実現可能かどうかの視点を持ちつつ、アウトプットを積み重ね、そのためのチームワークを醸成し続けなければならない。あれこれと気にする観点が多岐に渡り、ある意味曲芸のようでさえある。
そうした混沌期を切り抜けたチームが、アウトカム(成果)を引き寄せるようになる。そして、近視化する。
つまり、近くのものしか見えなくなる。目の前の成果を上げることに焦点を当て続ける。目の前のスプリント、次のスプリントにピントがあたり、今ここの雰囲気や気分ファーストがチームの判断基準のすべて。遠くのものが見えなくなり、見えないまま、ただただスプリントを消化する。
日々は悪くない(ファイブフィンガー3)が、遅れてやってくる「負債」的問題にやがて直面するようになる。技術的負債、プロダクトのコンセプト負債(コンセプトの迷子)、組織的負債(体制の拡充が置き去りになる)、認識負債(見ているものが違う)。
時間がレバレッジを効かせる問題群のため、ちょっとリキを入れた所でどうにもならない内容だったりする。目の前のスプリント、次のスプリントくらいの範疇ではどうにもならない。そうして、負債の前に呆然とした人から、チームを、組織を去っていくことになる。
チームの近視化を防ぐには「むきなおり」が必要。まさに、ときどき遠くを見るようにする。
この手のチームの「見え方」問題はまだある。
「チームの遠視化」は、逆に遠くにピントがあたり、目の前のスプリントがボロボロの状態。綿密なロードマップは描かれているが、屏風のトラよろしく実行力が伴わない。絵はあるがどう実現するのか、そのためのフォーメーションやプロセスの見立てがなく、経験値も足りていない。
「チームの乱視化」は、チーム内での認識がいちいち合っていない状態。さながらモノが二重に見えてしまうように、何をつくるべきか、何を気にしてどう作るべきか、チームとしてどうありたいかなどなど。さらにはチーム外、ステークホルダーとの認識もあわない状態もありえる。
そして、「チームの老眼化」。何かにピントをあわせる力そのものを失ってしまっている。近くが見えない、遠くに見えるものもかつて合わせた認識でしかなく、「今」が見えていない。チームの、自分たちの状態に目を向けないまま時を重ねると、気がついたら辿り着いている場合がある。ファイブフィンガー3のまま。
近視化、遠視化、乱視化、老眼化。チームとして何がどう見えているのか? まず視力を測るところから。遠くが見えているか(それは古くはないか)、近くが見えているか、見えているものは一致しているか。ふりかえり、むきなおり、そして、認識を重ね合わせよう。チームのメガネになれるかな。