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分かっている、分かっていない、分かったつもり

 事業開発やプロダクトづくりで仮説を立てる時は、「分かっていること」「分かっていないこと」の切り分けを重視する。何について分かっていて、逆に分かっていないのかを明確にするべく、「仮説キャンバス」を用いる。

 こうしたキャンバスのようなものが無ければ、そもそも捉えておくべき「分かる分からないの観点」自体が掴めない。つまり、分からないことに分かっていないということが起こる。仮説キャンバスは「コンテンツ(具体)として何に価値があるかはまだ分かっていないが、コンテキスト(観点)として何をリサーチするべきかは分かっている」という状態を作ってくれる。

 先日、「わかったつもり」という本を読んだ。

 書名から既に示唆に富んでいて、モノを考える助けになった。分かっていること、分かっていないこと、第三の状態として「分かったつもり」があるということだ。

 分かったつもりは、部分的に分かっているところがあり、そこを頼りに全体を「まあまあ分かっている」とみなす傾向のことだ。これが厄介。部分的に分かっていることに踏みとどまってしまうからだ。

 全く分かっていなければ分かりに行くことに焦燥感さえ覚えるだろう。一方、分かったつもりという評価を無意識にでもくだしてしまうと、自身が向き合う情報量や認知負荷を下げるために考え直す対象から外してしまう。分からないことは分かるチャンスがあるが、分かったつもりはその機会を失わせる。

 わかったつもりを防ぐにはどうすると良いか。まずキャンバス上で分かっていること、分かっていないことを視覚的に分かるようにする。見分けようとすることで、自分の認識を見直す機会になる。
 その上で逆張りをとる。すなわち、自分が分かっていると判断するならば、他者にキャンバスを共有してフラットに意見をもらう。チームとして分かっていると判断するならば、メンバー個々人それぞれで「本当のところ何が分かっていると言えるのか」に向き合う時間を取る。
 自分ではなく他者を、かつ集団では易きに流れかねないため、個々で問うようにする。このキャンバスの仮説構造で、「分かっていなければ最も困ることとは何か?」をお題にしよう。

 分かっていないということは居心地が悪い。どこか分かっているに倒して安心したいと思っているかもしれない。一方、分かっていないこととは可能性の塊とも言える。「分かったつもり」でふいにしないようにしよう。

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