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惰性の「検査」「適応」ではなく、「見る目」の方を変える

 ある時間の区切りごとに定期的に「検査」「適応」を行う。今ここまでに自分たちチームや組織が生み出したものや実現できたことをまず確認する(検査)。それから、その次に取る判断や行動がより適切なものとなるように、取り組むことや止めることを決める(適応)。こうした検査と適応を連鎖させていくことで、自分たちの思い描く状況を作っていく。

 この「検査」「適応」の際に、時々直面するのが「物事を見る切り口」の不足だ。検査対象をどう見るか、それを生み出すチームや組織をどう見るか。ある一つの事実に対しても、異なる切り口で見ようとすれば、そこから「分かること」も違ってくる。
 物事を見る視点が、ある一点に固定されていると得られる気づき、情報の分量や広がり、深さが乏しくなっていく。要は「マンネリ」とか「惰性」とか、ひどい言い方をすると「思考停止」に近づく。

 そういう状態を察知できる人がいる、あるいはチームだったりすると、状況を変えようと声があがる。意識的に「視座を高める、視野を広げる」ことで、「理解の仕方」を変えていこう、と。これは妥当な提案なので、受け入れられることが多いはずだ。ただ、同時にすぐに行き詰まりも感じることになる。どのようにして、視座を高めて、視野を広げるのか、と。

 簡単に出来るようであれば、とっくにやっている。という声もあるかもしれない。そのとおりだね。具体的な手がかりが必要だ。

 一つは、役割、立ち位置を設定して考えてみることだ。まずもって「チームとして」自分たちの活動とその結果をどう見るか。この視点で考えることは、本来は自ずと出来ているはずなのだけど、チームが慣性によって迷走してしまっている場合もあるから、改めて挙げておきたい。
 この要領で他の立ち位置に立って検査してみる。顧客やユーザーの立ち位置から、あるいはマネージャーや経営層の立ち位置から。その他のステークホルダーとして、眺め直す。
 この手の人たちを引っ張り出してきて、検査の場がともに出来れば話は早い。確かに早いが頼り切ったままだと、結局「別の視点からものを考える」という訓練ができない。「検査の丸投げ(相手の基準をブラックボックスのまま、相手に考えてもらう)が起きてしまう。(1)「どういう判断を行うか」を理解することと、(2)実際にその判断基準で考える訓練を行う、この2つを分けて捉えるようにしたい。

 ときに、「役割、立ち位置を設定して考えてみる」ということが上手く機能しない場合もある。「顧客」や「ユーザー」という漠然とした存在に立ってものを考えることの難しさだ。
 そんなときは、あえて具体に振り切ってみる。現実に存在する「個人」に視点を設定する。「あのユーザーインタビューのときの、あの人だったら、このアウトプットをどう受け取るだろうか?」といった具合でね。

 「経営層」というのも、分かるようで想像できない、立ち位置だろう。想像の度合いが大きいと、かえって判断を誤ることになる。だからこそ "(1)「どういう判断を行うか」を理解すること" が大事。そのために対話や観察、把握を行う。ユーザーとも、内側のステークホルダーとも、もちろんチームにおいても。
 単に、検査の場を繰り返すことに焦点をあてるのではなく、チームや組織に理解の連鎖、広がりが得られているか、ここを見よう。

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