実は、合っていない。 それでもなお "アジャイル開発" から始めるということ
「組織にこれまでとは違う仕事のスタイル、マネジメントが必要だ。それはアジャイルだ。だから、アジャイル(スクラム)を取り入れよう。」という流れが生まれ始めているのを確かに感じている。
「組織を芯からアジャイルにする」は、その潮流の片棒を担ぐために書き著したものであるし、組織アジャイルに挑もうとする "仲間" もずいぶんと増えた。もちろん、それはクライアントであったりするわけだが、これまでにはない領域へ踏み込もうとする物好きな連中にはある種の仲間感が漂う。そういう "感じ" がこの手の活動の原動力の一つになっていたりもする。
組織が変わるとしたら、どの方向なのか。組織が変わるとしたら、どのようになのか。組織が変わるとしたら、そいつなのか。確信の度合いは日ごとに強まっている。取ってつけた「最適化」に自らを押し流していくのではなく「らしさ」を取り戻す。そのためのアジャイルであり、その越境を始めるのに「今更」はない。始めたときが常に最速。
その一方で、「アジャイル開発」の知見をそのまま組織に適用とする動きには違和感を感じてきた。最初それは小さなものだったが、取り組み進める中で、はっきりとしたものへと変わっていった。
組織に探索適応を宿すのに、「アジャイル開発」をそのまま持ち込むのは筋が悪い。
このことを言及するのに一冊の本が必要であったし、さらに明確に示すのには時間を要した。「"情シス" が始める価値創出」としてまとめた。
内容は最適化組織において「アジャイル」に向き合うことの難しさをテーマにおくものだが、もっとも言いたかったことは「探索適応に組織的に舵取りするにあたって、アジャイル開発をそのままでは上手くいかない」ということだった。組織アジャイルをリードする可能性あがる "情シス" にこそ、これを強調する必要がある。
より話しをややこしくするのは、「そのままでは上手く行かない」と言いながらそれでもなお、「アジャイル開発」から始める必要性を語らなければならない点だ。この訳の分からなさの向こう側に行かなければならない。
組織アジャイルに挑む、すべての組織が「アジャイルなプロダクト作り」でスタートしなければならないわけではない。だが、探索適応に臨むにあたってプロダクト作りほどフィットした状況はないこと、また、そのリード役も組織内に見つけられるということから、手がかりとして示している。
もちろん、最適化の番人をしてきた "情シス" がここに臨むには、相当なるFrom-Toのギャップがあることは百も承知だ。だからこそ、そのトランスフォーメーションにこそ、ナレッジが必要であるし、具体的な行動が伴う必要もある。
今回の話ついて社内で勉強会を開きたい方や、仮説検証型アジャイル開発を実践するための相談はいつもその声を寄せていただきたい。