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ともに考え、ともにつくり、そして、ともに越える

 書籍「チーム・ジャーニー」の発刊を迎えた。

 平成の終わりに書いたのが「カイゼン・ジャーニー」、平成と令和に渡って書いたのが「正しいものを正しくつくる」。この本は、「正しいものを正しくつくる」を書き終えてほぼすぐに取り掛かった。

 今回の書籍は、「他者と働く」宇田川元一先生に推薦文をお願いした。

 宇田川先生とは、知人を通じて面識を得た。「カイゼン・ジャーニー」を先生に紹介して頂いたのだ。その後、とあるカンファレンスにて先生と「働き方と組織」をテーマに対談をした。そうした機会を通じて先生との交流を進め、あるとき「当事者研究」という概念を教えて頂いた。当事者研究は、私にとって足りない観点と語彙を補うものとなり、「チーム・ジャーニー」もその影響を受けているところがある。

 そのような経緯から宇田川先生に一筆をお願いした次第である。大変に多忙なところで引き受けて下さり、本当にありがたい思いがした。出来上がりをみた先生からは「市谷さんより僕の名前の方が大きいね!」と屈託のない笑顔をもらった。

 書籍の発刊に合わせて、2月13日-14日出版社の翔泳社主催の「Developers Summit(デブサミ)」でお話もさせて頂いた。「チーム・ジャーニー」がテーマにおいている「段階」という概念を中心とした講演。

 この講演の後半で「ともに考え、ともにつくる」という言葉が出てくる。数年前なら「正しいものを正しくつくる」が出てくる局面。正しいものを正しくつくるという言葉に駆り立てられてきた結果、辿り着いたのは「ともに考え、ともにつくる」ということだった。

 そして、この言葉にはまだ続きがある。「ともに考え、ともにつくる」からこそ、「ともに越える」ことができる。考えることも、つくることも、たとえひとりぼっちだとしても出来る。だが、ひとりぼっちで考えたことや、つくったものがそのまま、自分以外の誰かに届き、広がるかというと簡単にはいかない。

 自分の認識、自分が捉えている世界は、たいていの場合そのままでは相手が受け止められるものになっていない。いわゆる独りよがり、宇田川先生の言葉を借りると「自分のナラティブ」しかない。自分が自分のナラティブ、他者と分かち合えていない認識に囚われることに気づくためにはどうしたら良いのだろう?

 われわれは、自分自身のことに気がつくために「他者」を必要とする。他者と「ともにある」ことで、自分自身を知る機会が得られる。そうして自分自身を捉えられることで、一人では突破できなかった状況をも乗り越えていくことができる。それが「ともに越える」ということだ。

 あとは、本書で確かめて頂きたい。

 この先が、お互いにとって良い旅となるように。

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