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這い回る経験主義に陥らないための「ものわかり」
「這い回る経験主義」という言葉を知った。
とにかく経験が大事だ、ということでどれだけ経験したかが重視、偏重され、体系的な学習構造が当事者の中に構築されないままになってしまう。そうした状況への批判としての言葉、這い回っているだけの経験主義。
一方、経験主義といえば「スクラム」だ。
スクラムは「経験主義」と「リーン思考」に基づいている。経験主義では、知識は経験から⽣ まれ、意思決定は観察に基づく。リーン思考では、ムダを省き、本質に集中する。
スクラムには、レトロスペクティブの機会が用意されている。チームとしての学びや課題が取り出されて、チームの次の活動に活かせるよう設計されている。
ところが、「ふりかえりは、まあスプリントごとでなくてもよいか」といった具合で軽視していたり、場合によってはふりかえりを割愛するチーム、現場もあったりするから悲しい。「ただただ経験を重ねているだけの状況」とは、単にタスクを消化し続けているだけに近い。自分たちで学びを放棄しちゃいかん。もともと手持ちにある知識だけで乗り越えられるほど、プロダクト作りは容易ではない。
このチーム・ナレッジの獲得をより強調するならば、やはり「ものわかり」を推したい。学びをナレッジまでに昇華するならば、通常の「ふりかえり」だけでは少し手に余るところがある。日々の「改善」のための手がかりを得る時間と、「再利用可能なナレッジ」まで仕立てる時間とでは、性質が異なる。後者があいまいになるようであれば、意識的に切り分けてでも取り組んだほうが良い。
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ところが、いざやろうとすると、難しく感じるかもしれない。ふりかえりの結果を眺め直しても、断片的すぎてナレッジにまで持っいくのに距離を感じてしまうのだ。このあたりが「改善」と「知識獲得」の二面の間の小さくなり隔たりなのだ。
なので、いきなり「ふりかえり」の結果をそのまま活かそうと意気込むのではなく、まずは「問い」をあげるほうに振ったほうがよい。なぜ、こうしたProblemが起きているのか、どこからやってくるのか、要因に目を向けてて掘り下げてみる。
あるいは、より得られる結果を顕著にするためには、何があると良いのか。どんな条件が揃えばより好ましい成果、働きになっていきそうか。結果をより拡張するための想像をしてみる。つまり、目に見えている範囲だけに留まらず、「意図的に深める広げる」という観点が要になる。
こうした問い直しをふりかえりの中で混ぜ込むのは時間的にきつくなるだろう。ふりかえりを何度か実施した後に、ものわかりの場を設ける、といった分け方もありだ。ふりかえりを見て思い出せる距離感で実施しよう。
這い回り、立ち止まり、確かめる。実践とふりかえり、そしてものわかりの行き来を意識したい。