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学びを、現像する。

 検証と開発を繰り返してプロダクトをつくる。使えるようになったプロダクトをユーザーに提供して、その反応をみる。そうして得られる結果に一喜一憂する。プロダクトづくりの醍醐味がそこにあると思う。その一方で、自分の動機は別のところにあるような気がしていた。

 プロダクトづくりで何をどうしていくか誰も分かっていない状況を少しずつ分かるようにしていく。その過程そのものに、自分の動機があるように思う。分からないものを分かるようにする。その学びを関係者の間で得て、何かしら発見を分かち合う。そのための作戦を捻り出して、実験的に進めていく。その過程、作戦そのものに名前付けをし、自分の見つけた概念としてストックしていく。そんな行為にも、自分は楽しみを得ているようだった。

 そんな話を人生の先輩に話していると、思いがけない言葉をもらった。

「それは現像だね。」

 現像というと、フィルムを様々な薬品を駆使して写真にする、あのことですか、と。やったことはない。が、確かにイメージだけはあっているかもしれない。検証や実験を通じて得たほのかな学びはフィルムに焼き付いた像だ。そこから鑑賞できるように写真に仕立てる。これがソフトウェア開発。現像、像を現す、仮説検証で得た学びをプロダクトで現す、しっくりとくる一致感だ。

 現像では様々な薬品を使い、分量をあわせて、絵を浮かび上がらせる。ソフトウェア開発でも、それまで得たやり方、ものの見方、概念を駆使して臨む。その過程は、手間でしかない。そして、その手間こそが楽しい。次はもっと美しい絵、見たこともない絵を見れるようにしよう。だから、現像の過程にもこだわりがある。

 さらに自分の動機を探ってみると、像を映し出す先は写真(プロダクト)に限らないことにも気づく。絵画かもしれないし、粘土細工かもしれない。学びを映し出す先は、もっとも像を鮮明に把握できる媒体である必要がある

 プロダクト・事業づくり、チームづくり、組織・コミュニティづくり。自分自身が広範囲に関心を持てるのは、突き詰めるとあるよくわからない状況を探索し仮説立てたことを、理解の度合いに応じて最適な手段(プロトタイプやMVP、またそれによる検証。チームや組織での実験など)を選び、具現化すること。そして、その結果を関係する者たちで眺め、解釈し、分かち合うこと。その場に生まれる心の動きが、自分へも含めた馳走だ。

 ところで、10年前立ち上げた開発者向けのコミュニティのコンセプトは「開発の楽しさを発見しよう、広げよう」だった。ひょっとしたら私は何も変わっていないのかもしれない。

 そうした腹落ち感を伝えると、先輩は言った。
「そりゃそうだろう。現像とは、デベロップというからな。」

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