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「むきなおり」で意図と行動の整合を合わせ続けようとする

「チームがうまく機能していないんです。」
「組織が縦割りで互いの方向性を合わせるのに苦労します。」
この手の話を日常的に聞いている。あまりにも毎日聞くので、機能しているチーム、組織なんて現代においてほぼ存在しないのではないかと思ってしまうくらい。生存者バイアスであると信じている。

 とかくこの手の話を聞いて、一緒になって悩んでいる日々を送っていると、一つ気づいたことがあった。それは「整合性」に関する問題だ。

 そもそも「意図」「行動」が一致しているのかどうか。何をしたい、どうなりたい、どこに到達したいという「意図」。
 そして、それに向けて具体的に活動して、状況をどうにかしようとする「行動」。この意図と行動がそもそも一致しているのか。

「意図」はあるが、「行動」が一致していない

 目的や目標を言語化し、チームや組織として何を目指すかの意図は分かるようになっている。ところが、手元でやっていることは意図とあっていない。おのおのが「良かれ」と思って、「おのおの最適化」でてんでバラバラ動いているような状態。動機が「良かれ」だったり、取っている行動自体が「間違ってはいない」だけに、統合を推し進めにくく、全体として是正できずにいる

そもそも「意図」があやふやで「行動」は単にやってみようなだけ

 「意図」に値するものは何がしか言語化されているが、抽象的なままであいまい。あるいは、「意図」そのものが誰にも確認されていないような状態。互いに理解できている意図が弱い中で、取る「行動」はたいていの場合「やってみよう」になる。
 動き出しとしては正しい。ところが、問題は「やってみよう、やってみよう、そしてやってみよう」なだけになっていること。「やってみて、何だったのか?」「やってみて続けることで、この先はどうなるのか?」の立ち止まりがないと、何にもならない。

 焦点をあてるべきは、「意図を明確に言語化し、互いの理解を隅々まで合わせよう」ということではない。互いの行動に迷いが生まれないくらいはっきりとした「意図」をおけるほど分かりやすく、簡単な仕事ばかりではない。

 むしろ、はっきりとした「意図」なんてどこにも、誰にもなかったりする。あるのは「どうにかしたい」「どうにかする必要がある」という方向感のみ(「本当に考えていない」ということを除けばね)。そんな段階でできることは、自分たちの感性を頼りにした「行動」でしかない。

 つまり、冒頭にあげた「整合性」とは2つある。

  • 一つは、「意図」と「行動」の一致

  • それと同時に、「行動」した結果によって得られる、新たな「理解」と「意図」の一致

 意図の確信が「まったくない」「いったんある」「かなりある」いずれかの状態によって、取る行動の「やってみよう」度合いも変わる。ただ、共通するのは、その結果から次の局面に向けて「むきなおり」を行うことだ。

 むきなおりで、

  • これまでおいていた「意図」は、「今も意図通り」か?

  • 「意図」を実現するために必要な「行動」とは何か?

を問う。はじまりはあいまいで良い、ただ、その後自分たち自身の「意図」を見失わず、意図通りの探索を続けていきたい。

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