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正しいものを正しくつくる

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書籍「正しいものを正しくつくる」に関するマガジン。 https://beyondagile.info/ https://www.amazon.co.jp/gp/product/4…
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#プロダクトオーナー

スクラムマスターやプロダクトオーナーがいなくて、アジャイルができるのか?

 関与する組織によっては、スクラムマスターがいない、プロダクトオーナーがいない、ということがありえる。  経験的にいないにも等しい、兼務でほぼいない、物理的に本当にいない、いずれの「いない」がある。まともに考えればスクラムに取り組む状況にはない。というときに、支援者としてどういうスタンスを取るか、は2つに分かれるだろう。  「いない」では話にならん。経験がゼロならまずスクラムガイドを読むところからはじめよ。しかる後に、自分たちにどのような支援が必要になりそうか、自分たち自

プロダクトオーナーに情熱は必要か?

 プロダクトオーナーに情熱のようなものは必要だろうか? 何とはなくそんな会話があり、少し考えた。  深く考えなければ、それは当然に必要だろう、という答えに辿り着く。「プロダクトオーナー」という言葉の背景には、プロダクトづくりのリード役としてのイメージがちらついてくる。より、文脈から解放されて想像するならば、アントレプレナーシップのようなイメージも想起される。プロダクトオーナーにはどこか起業家的気質があってしかるべきとみなしてしまう。  実際にはどうだろうか。インハウスで、

アジャイルコーチでメタスクラムを組む

 チームでスクラムに取り組む。チームとしてスクラムの経験がなく、スクラムマスターも含めて実践のための支援が必要となる場合、「アジャイルコーチ」を招聘する。単一のチームへの支援の場合、それほどややこしい臨み方が求められるわけではない。しかし、対象が複数のチームになる、組織的なスクラムの実践の場合は、アジャイルコーチ側の組織化が必要にもなる。  具体的にはアジャイルコーチ側で、現場のスクラムとは別のスクラムを仕組もう(仮にメタスクラムと呼ぼう)。メタスクラムではアジャイルコーチ

探索チームに「ロジカルシンカー」の居場所はあるか

 既存事業でこそ「探索」が必要であるという話を書いた。  この話を踏まえて、「探索チーム」について、もう少し語りたい。既存プロダクト、事業の文脈で、あらためて顧客の状況やインサイトを集めにいく、その際のチームのフォーメーションについてだ。  まず、さらに前提を加えるが、この探索活動のチームの動き方には「アジャイル」が期待される。つまり、スクラムのようなプロセスを適用することになる。探索になぜアジャイルが必要かという話は、いくつかの本に何度も書いているので割愛する。  「

数字を突き詰めようとするほどに、「ユーザー」「チーム」「プロダクト」を見失ってしまう

 プロダクトマネージャーやプロダクトオーナーが、「プロダクトがどうあるべきか」に考える焦点をあてることは勿論のことだ。ここに最も自分の時間を使っていて、然るべきだ。  ただ、プロダクト作りの初期の段階を経て、焦点のあて先、時間の使い方は状況とともに動いていくことになる。「焦点のあて先を動的に変えていく」、ここが出来ているかどうかが大事。どうしても、人はひとたび焦点を置くと、そこから目が離せなくなってしまう。その結果、判断とふるまいが「今ココ」の実状とフィットせず、上手い状態

「ユーザーにやらせている」つもりが、「自分たちがやらされている」ようになる

 プロダクトとして追うべきKGI-KPIを定めてトレースする。KPIは勿論プロダクトの状況によって異なるが、例えばActivationだったり、オンボード後の定着を示すRetentionについての指標だったりする。KPI到達に向けて、マーケティング上の施策や機能開発へと落とし込み、その具現化に日々注力する。…という日々になっているだけだとしたら、危ういかもしれない。  この状況のどこに問題があるのだろうか。至って普通のことではないか。むしろKPIをろくに定義することもなく漫