マガジンのカバー画像

正しいものを正しくつくる

165
書籍「正しいものを正しくつくる」に関するマガジン。 https://beyondagile.info/ https://www.amazon.co.jp/gp/product/4…
運営しているクリエイター

2024年7月の記事一覧

ドラッカー風エクササイズC面

 ウェルビーイングについて調べていると、「わたし」と「わたしたち」の概念にぶつかっていく。そこで、自分とチームという対比だけではなく、「わたし」と「チームの中における "わたし"」という見方があることを示唆される。「わたし」も「チームの中における "わたし"」も、自分のことである。ただ、どこから見るかによって、自分から分かることが異なる。  アジャイルにドラッカー風エクササイズというプラクティスがある。このプラクティスを冷静に読むと、「わたし」の表明に終始していることに気づ

いつ、自分の考えや判断が「正しい」と、評価できたのか?

 この人とは意見がいつも合わない。どう考えても、自分のこれまでの知見に照らし合わせると、こちらのほうが可能性があると思うのだけど。そこが相手に伝わらない。もう1年か、何年か前に自分は辿ってきた既出の話なんだよ…。もう、いい加減分かってくれないかな。時間がいくらあっても足りない。  と、思うことはあると思う。私も、よくある。一方で、この話の結論を先に述べると、 いつ、自分の考えや判断が正しいと、評価できたのか? (本当に、自分の考えや判断が正しいを評価できるのか?) この

「ウェルビーイング」と「アジャイル」

 先日、渡邊淳司さんと「ウェルビーイング☓アジャイル」というテーマで対談を行った。とても示唆があり、充実の2時間を過ごすことができた。この模様は渡邊さんが手掛ける冊子にまとめられる予定になっている。同時に、私も気付かされるところを言語化していきたいと思う。  渡邊さんの「ウェルビーイングのつくりかた」を読んでいると、だれのウェルビーイングなのか?という問いをもとに、わたし、ひとびと(三人称)、わたしたちという分けが提示される。このわたし、わたしたちをどう捉えるかがウェルビー

「Do」でも「Be」でもなく、「BeCome」なアジャイル

  「アジャイル」と言った時に、それは「アジャイル開発」のことなのか「事業開発のためのアジャイル」なのか、「開発以外も含めた仕事の進め方としてのアジャイル」なのか、それとも「組織運営のためのアジャイル」なのか、引き続きちょっとした混乱がある。  「アジャイル」を抽象的概念(すなわち「探索」と「適応」)として見直したとき、それはあらゆる営みに通じるものになる。ゆえに、先のどれにでもあてはまる。ここがどうしても他者と、チームと、組織と、理解をあわせづらい。  「構成概念」とい