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食洗機のムダな使い方は人生の彩り
取っ手を持って、意外に重いドアをゆっくり引き出す。
箸3膳、スプーン3本、ご飯茶碗2つ、味噌汁のお椀2つ、ヨーグルト用の小さいお椀2つ、お皿1枚、小皿2枚を、所定の位置におさめる。
夫婦2人だと、平日は朝食の食器と夕食の食器でだいたいこの程度の数になる。
すべてを食洗機の中に入れ終わっても、もうワンセット入るくらいにスペースはガラガラ。
そうするとどれくらい入れればいいのか悩むのは、食洗機用洗剤の量。
パッケージには、普通の汚れならキャップ半分、汚れがひどい場合はキャップ1杯分を使うようにと書いてある。
洗剤の量は、汚れのひどさだけで決めていいのか?食器の量は関係ないのか?
結局いつも、食器の量に合わせて洗剤の量を決めている。汚れについては毎回大した違いがないからだ。
ひょっとしたら使い方を間違えているのかもしれないけれど、仕上がりに問題はないのでこういう使い方でもきっと間違いではないんだろう。
ただ、食器の量が少なくても多くても、スイッチオンから乾燥終了までの時間はほとんど変わらない。食器が多ければ時間がかかったりしないものなんだろうか。しないものだ、ということなんだな。
この程度の食器の量なら、手洗いでも大して面倒ではないし、なんなら食洗機に任せる方が時間がかかるので、本末転倒のような気がしないでもないけれど、そういうことは考えないようにして食洗機のスイッチを入れる。
せっかくあるものだから、使わないとな、という気持ちと、ほんのわずかな時間の削減でも、毎日となると積み上げれば大きな時間の確保につながるのだという大げさな思いに支えられて、今日も食洗機のスイッチを入れる。
家事を効率化して有意義な時間を確保するため、のはずが、ひょっとしたら、水道代と電気代のムダにしかなっていないのかもしれない。
周囲を見回してみると、そこにあるのにほとんど使っていないようなものもそれなりにある。それに比べれば、毎日使っているだけまだマシ。
人生なんてそんなもんだね。時間を効率的に使って後悔のない1日を送る、なんてことは、よっぽど意思の強い人でないとできない芸当。
ムダも、後悔も、焦りも、すべてバリのようにみえて、実は人生の彩り。
バリ取りに執心するより、バリのある人生をそのまま受け入れる度量がある人間でありたいね。