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意図しない貢献のけなげさに思う

ここ数日、洗面所に入ると、南国らしい甘い香りがただよってくるようになった。

マンゴーだ。

マンゴーの香りの芳香剤、ではない、
食べられる果物のマンゴー。

2週間ほど前、お盆には少し早かったが、3年前に亡くなった父のお墓参りを行った。その時のお供え物のお下がりの一つが、このマンゴー。

よく見る赤い状態ではなく、まだ青くて固かったため、追熟させてから食べるのだとキッチンの片隅に置かれていたが、まったく色も変わらず、固いままで、いっこうに熟す気配がない。

扱い方に何か問題があるのかと妻が調べてみると、どうやらエアコンが効いて気温が低いところでは追熟しにくいらしい。

ウチには2匹の猫がいるため、夏場はヒトが不在になる日中もつねにエアコンをつけている。

これではダメだとエアコンの効かない場所として選んだのが、洗面所。

洗面台や洗濯機、脱衣カゴ、下着の入ったケースのある中にポツンとマンゴーがある風情は違和感以外の何ものでもない。

それでも、慣れてしまうとマンゴーは風景の中に溶け込んでしまい、意識することもいつの間にかなくなっていた。

そういう矢先に、芳しい香り。

マンゴーが熟しはじめたことを、マンゴー自身が教えてくれている。

そんなことを人間に教えたら食べられてしまうのに、キミはなんて律儀なんだ。

いや、果実は食べられてタネをばらまくために存在するわけだから、食べられて本望なのか。

何ら意図することもなく、その存在自体がしゅを存続させるためになる。
それも他者の力を借りて、自らのしゅを存続させるという他力本願な存在。

余計な意図をもってお互いに存在を否定しあい、しゅの存続を自ら危うくするどこかの動物とは大きな違いだ。

でも、申し訳ないけれど、キミのタネは生ゴミとなってゴミ収集車に収集されてしまうから、残念ながら目的を達成することはないんだ。

あのねっとり濃厚な味わいを楽しめるまであと何日だろう。
サイの目がたくさんくっついたようなあの独特の切り方で味わってこそのマンゴー。

ひょっとしてパンの素材としても使えるだろうか。

そういえば、マンゴーメロンパン、っていうパンをみかけた。
マンゴーなのかメロンなのかどっちなんだろう。

いちごメロンパンとかショコラメロンパンとか、どうやらメロンパンにはさまざまな種類があるようだ。

もはやメロンパンとはメロン味のパンではなく、あの亀の甲羅のような形をしたパン全般のことをいうようになった、ということなんだろうか。

そういえばウチにあるマンゴーはたったひとつだった。
半分に切って妻と私で食べてしまうと、パンに使う分は残らないな。

マンゴーを使ったパンはまだ今度。
スーパーで安いマンゴーを買ってこよう。

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