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無神論者に朗報!

こんにちは、20年ものプログラマーです。

日本で「神様を信じる」というと「この人は何かの宗教団体に所属しているんだな」と思われる事が多いですよね。ブラジルでは逆で、キリスト教徒がたくさんいますが、教会に行かない人が多いです。

一度、不動産屋にアパートの家賃を値下げしてほしいと交渉した時、「家主には伝えたから、あとは信仰を持って待とう」と言われて、少しキョトンとなりました。「運を信じて待とう」というのと同じ感覚で「信仰」という言葉を使っています。

また、日本語で「ご縁があれば、また」と言うのとほぼ同じ感じで「神様が望んだら、またね」という風に言います。

私はブラジル人のこういう宗教観に、けっこう好感を持っています。なんか、かわいい気がします。宗教団体にはこだわらず、個人個人が好きなように信じている所が特にいいです。

日本でも、宗教団体に所属する友達が何人かいたのですが、そういう人たちは神様というより団体活動が中心という感じでした。

私は、宗教画に出てくるような、人間の形をした神様はいない気がするので、「私は無神論者です」と言っていたのですが、ブラジル人から「違うわよ、あなたはスピリチュアリストよ」と言われ、それからはそういう風に言う事にしました。

なぜかというと、ブラジルにいて「無神論者です」と名乗ると「私はモラルがありません」と言っているような感じに響くのです。何の神様でもいいから信じている人の方が信用できる印象を受けます。

あるキリスト教徒のブラジル人が「何の神様か分からない場合は、”創造主”って言えばいいのよ。そうすれば、どの宗教の人ともケンカせずに話せるのよ」と言っていました。こういう所も、日本と違いますね。日本のキリスト教は「一神教」ですよね。

「創造主」か。別に人の形をしてるとは限らないし、「宇宙はビッグバンから始まった」とか言っても矛盾しない。この概念は使い勝手がいいな。

そうこうしているうちに、なんとなく「生き物の心臓を動かしている存在が神様なんじゃないか?」という気がしてきました。どんなに科学が発達しても、人工心臓やクローン羊は作れても、止まったばかりの心臓を電気ショックで動かす事はできても、ゼロの状態からは動かせないわけだし。

キリスト教でも「神は遍在する」と言っているそうです。生き物の細胞全部にいきわたってるからじゃないですかね~。

ある日本人のお医者さんが「生命そのものが神である」と言っていたので、やっぱりそうだよね!と思いました。それを聞いてからは完全にその考えが定着しました。そうすると必然的に「今生きている=神様が私を助けている」という事になります。

そしてその心臓を動かしたり食べ物を消化してくれている、内なる神様に向けて「病気をしませんように!」って祈ると、免疫力が向上して健康になるじゃないですか(笑)

神様が信じられなくて困っている人、朗報です!生きているだけで神様がいますよ!

そして、コンピューターは外付けの脳みそで、インターネットは外付けの「集合的潜在意識」なんじゃないの?とか。人類は何でもかんでも外付けにする方向に進化していくのかもですね。

そういう事もあって、プログラムを作る時「人間の脳みそだったらどうやってこの仕事をやるかなあ」とか考えながら作ります。「最初に関連データをワーキングメモリに読み込んで、考えた結果をときどき紙に書いて・・・」とかアナログに考えながらやると、いい感じに作れる事が多いです。

プログラムは外付けの思考回路ですね。

読んでいただき、ありがとうございました。


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20年ものプログラマー
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