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演者とダンスは何処に向かうの

娘がダンスを習っているからってわけでもないけど、EテレのEダンスをたまに見る。7代目Eダンスキッズが卒業で、その卒業公演がやっていた。

キッズたちは最初の頃に比べたら本当にダンスが上手になり、子供の成長って本当にすごいなと思う。卒業ということで皆涙し、先生への感謝を述べては涙していた。見れば見るほど愛着が沸き、講師陣も良く、来シーズンもやるみたいで楽しみだ。

今回の卒業公演はNHKホールでの無観客公演だった。キッズたちはカメラの向こうの視聴者に向けてダンスをしていたと思うが、「目の前に観客がいない」ことを受け入れて、卒業公演という精いっぱいのダンスをするということのSF感がすごかった。

それはやれば当然できる。が、今までは観客席に沢山のお客さん、両親や友人もいただろう、そういう具体的な対象がいるからこそできた踊りもあっただろうが、今回はそれがなく、無人の観客席に向けて、あるいは目の前にあるカメラのレンズ(その向こうにいるだろうと想定される観客)に向けて踊っていた。

番組最後にひとりひとりが卒業の挨拶をする。今までの講師陣への感謝や、サポートしてくれた両親への感謝を述べるキッズたちは、涙交えて挨拶をしていた。娘と同い年の子が本当にしっかりした挨拶をしていて驚いたりした。

が、その光景はただステージ上だけで行われていて、観客席は沈黙している。その感じがSFで、どこぞのパラレルワールドのようだった。


この頃の普段の生活は、外に出るとマスクをしている人が多かったり、スーパーに品が無かったりすることはあるけれど、それ以外は見た目には特に変化がない。その違いの無さがSF、どこぞのパラレルワールドに迷い込んでしまった感がある。一晩眠って目が覚めてみれば夢だったと元に戻るような。

でもどうやらそうではない。ワイドショーではコロナなう。あるいはアフターコロナの想像力が飛び交う。まさにそれが現実のニューノーマル。


子どもは想像力も感受性も豊かでアーティストで、であるならば今回のEダンスキッズたちは、観客がいないNHKホールにその豊かな感受性でもってショックを受けたのではなかろうか。踊りを届ける相手が目の前にいない不可思議さが醸す、そんな涙もあっただろうか。

いくら時代が進んで多くがバーチャルにとってかわっても、人が目の前にいてあげたりもらったりすることはすごく原初的な行為で、一時的ではあろうが失ってみてわかること。祝祭は演者と観客がいるからこそ成り立つ。観客が不在であれば演者は何処に向かえばいいのかわからない。


過去に戻ることは無くて進むのは未来で、もしかしたらキッズたちが踊っていたのはアフターコロナのダンスのはじまりだったのかもしれない。涙ながらに踊る心地はどのようなものだったろうか。


(ひさとし)

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