ミュージシャンはいつ、どの閾値を超えたらミュージシャンになるんだろう?
保育園で子供たちに「アンパンマン」や「となりのトトロ」といった曲を披露して喜んでもらい、劇仕立てにしてダンスを織り交ぜ、飽き足らずにオリジナル曲を作り、そしてCD音源まで制作しちゃったのは、未だに「どんな冗談?」という気が冷めやらぬのですが、どうやら事実のようです。
ようへいメンバーに歌詞を送り、返ってきた楽曲にああだこうだと更なる要求をし、きっと彼は「何言ってんだよ」みたいなことも思ったに違いないですが、お互い制作段階におけるベストは尽くし、もちろん特定の作品作りの追求は「まだまだできる」のですが、それはそれ。制作の醍醐味、あるいはジレンマと共に、また次のステップに進まねばなりません。いつまでも未完成であるからこそ、いつか訪れるかもしれない完成を目指しているとも言えます。
そういえばゆらゆら帝国は「完全にできあがってしまった」という理由で2010年に解散しました。それって本当にすごいことです。
元々演劇に携わっていたので人前に出て何かしらする行為はしていたのですが、まさか人前で歌うことを主にするようになるとは夢にも思っていませんでした。そして自分たちで曲を作るようになるなんてまるでミュージシャンみたいだ。しかしミュージシャンを名乗るには、いわゆる世間一般のミュージシャンの方々に申し訳ない気がするので、今はまだ「ミュージシャン未満」な感覚でおります。これからミュージシャンになっていく。
ではどんな段階になれば「ミュージシャンです」あるいは「音楽家です」なんて名乗ることができるのでしょう?
私は楽器に関しては素人で、楽曲制作は主にようへいメンバーの主導の元に進行し、その中で「こういうのはどうだろう?」という提案をします。というか、「音を取る」というような行為も、満足にできているのだろうか?という疑問を抱きます。若い頃の不摂生で、あまり耳もよくない気がしています。そんな中でもハーモニカを吹いたり、ギターの練習をしたり、そういう行為のはじまりに年齢はあまり関係なかろうと、歳を重ねて思います。若い頃にギターに触ってコード進行をちょっとかじったくらいなのですが、それが意外と今になって役に立っていると思ったりします。
自他ともに認める何かしらのプロフェッショナルになる、ということに少なからず憧れのようなものがありますが、自身は様々な物事に興味を抱くたちで、あれとかこれとかいろいろ手を出します。歌詞を書くことも、ライブハウスで歌って踊ることも、そんな性分の為せる神の気まぐれ運命のいたずら、スティーブ・ジョブズ曰くの「点と点」、過去に従事していた行為がいつか新たな何かを生むハーモニー。
ミュージシャンがいつミュージシャンになるのかという問いを抱きながら、そして面白がりながら、また新たな楽曲制作に携わり、やっているうちにハーモニカもギターも上手になって、飽きずに60歳くらいまで続いていたら、もしかしたらミュージシャンになっているのだろうか。芝居に従事しているときに、100%の心地で「役者です」とは言い切れなかった気がしています。そもそもに100%なんてものはなく、100%は目指すべき対象であり、いつも60%くらいでよいしょよいしょと足掻いているのが美しいのかもしれません。
そんな思いで今宵も歌詞を書いては消す行為。
(ひさとし)