まだ「いいね!」のために写真撮ってるの!? あなたが本当に撮りたい写真をあなたに代わって教えます
本当にその写真で満足してる?
写真ファンのみなさま、こんにちは。
「写真のネタ帳」の上原京平です。
写真が趣味のみなさんにとって、自分の写真が良いのか悪いのか、イケてるのかイケてないのかは、とても気になるところだと思います。
そのための判断材料として、いいね!の数や、友達や先生の意見を参考にすることもあるでしょう。
しかし、他人の判断は必ずしも真実とは限りません。
自分ではとても良いと思った写真が、他から何のリアクションももらえないという経験、ありませんか?
「ベストな写真とはいったい何か?」
そんな模索をしながら、日々撮影されているのではないでしょうか。
そして、断言しますが、あなたは自分の写真に満足していないはずです。
なぜなら、
・「いいね!」のための写真
・褒められるための写真
・好きな写真をマネただけの写真
・レシピをなぞっただけの写真
これらの現在主流とも言える写真は、どこまでいっても満足できない写真だからです。
あなたも、うすうす感じているかもしれませんが、本当にベストな写真とは、他人の評価はまったく関係ありません。
それはあなたにしか判断できないことです。
「それだと『ひとりよがり』ではないか? 他人の評価によって、はじめて自分の立ち位置がわかるのではないか?」
そう思われるかもしれませんが、「ひとりよがりの写真」と「ベストな写真」は、もちろん全然違います。
そのことは記事を読めばすぐにわかります。
何はともあれ、この記事を読みはじめたあなたは、ベストな写真が何であるか、自分が本当に満足できる写真とはどんなものであるかを知りたいと思っています。
そしてそれは、いいね!がたくさん付く写真でも、皆に褒められる写真でもないことを知っています。
「それらではないけど、じゃあ何だ!?」
という普段感じているモヤモヤを、この記事では解消します。
この記事では、
あなたにとってのベストな写真とはどのようなものか
そして、
どうすればそれが撮れるのか
を解説します。
ベストな写真を知ることは、趣味の写真において、ゴールであると同時にスタートです。
それを知ることは、これ以上ない最高到達点であると同時に、そこからはじめてあなた自身の写真が始まるスタート地点でもあります。
そして、それを知ることによって、あなたが身につけたテクニックやセンスが、本当の意味で生きてきます。
テクニック単体では大して意味はありません。
それらは一つひとつが「歯車」です。
それらがカッチリと噛み合ったとき、あなたは一体、どんな写真を撮るでしょうか?
(全文14,000字)
---目次---
【第1章】
1.ベストな写真とは
2.「ベストな写真」と「撮りたい写真」の違い
3.自分自身とは何か?
【第2章】
ベストな写真を撮る方法【基礎編】
【コラム】ベストな写真を撮る「時期」
ベストな写真を撮る方法【実践編】
【コラム】ベストな写真を撮る「本当の理由」
ベストな写真を撮る方法【総集編】
おわりに
---第1章---
1.ベストな写真とは
あなたに撮れる最大限の写真、つまり、あなたにとっての「ベストな写真」。
それは、最大限あなた自身を発揮した写真です。
なぜなら、あなたはあなた自身であることをやめることができないので、最大限あなた自身であることが、あなたの最高到達点だからです。
あなたであることをやめて、違う誰かになることはできません。
あなたがいくら好きな写真家の写真を精巧にマネたとしても、それは本来のあなたとは無関係の写真です。
あなたが自分を好きであろうとなかろうと、自分に興味があろうとなかろうと、あなた自身を最大限発揮した写真が、あなたにとってのベストな写真です。
■ベストな写真とは「単なる事実」
朝顔の種からは、朝顔しか咲きません。
ひまわりの種からは、ひまわりしか咲きません。
あなたという人間からは、あなたしか表現され得ません。
それは好き嫌いの問題ではなく、単なる事実です。
山口県の隣が広島県であるのと同じレベルの、ごく「あたりまえの話」です。
■絶対的な写真
「事実」と、「好き嫌い」や「良し悪し」は無関係です。
好きだろうと嫌いだろうと、山口県の隣は広島県だし(島根県もあるけど)、地球は太陽系の3番目の惑星です。
好きだろうと嫌いだろうと、朝顔は朝顔だし、ひまわりはひまわりだし、あなたはあなたです。
それは良し悪しの問題でもありません。
これは、「そう思う」とか「そうありたい」という、あやふやなものとは次元の違う話です。
これは、ハッキリ「そうである」と断定できるものです。
つまり、「あなた自身である」という写真は、好みや価値観とは無関係な「絶対的」な写真です。
「好き・嫌い」「素敵・イマイチ」といった、見る人・見る場所・見る時・見る状況…によってコロコロ変わるものではありません。
人・場所・時・状況…に関わらず、常に不変のものです。
だからそれは、どんな状況にも左右されない「最強の写真」であり、否定しようがない「ベストな写真」です。
■相対的な写真
それに対して、「うまいヘタ」や「好き嫌い」、「他人の評価」や「いいね!の数」を基準にした写真は、「相対的」な写真です。
それは、その他の写真との関係、見る人との関係、見られるシチュエーション、価値観、好み、気分、流行…、そういった「不確定な要素」によって決められる写真です。
だから、ある意味そうであったりなかったり、場合によってはそうであったりなかったり、いややっぱりそうであるかも、いやないかも………、というどないやねん!という写真です。
ハッキリ「そうである」と断定できないものです。
昔はチヤホヤされていたものが、今は見向きもされなかったり、昔は見向きもされなかったものが、いまは「インスタ映え」と言われたり。
ぜんぜん良くないと思っていたけど、大御所が「すごい」と言ったので、やっぱりすごいと思ってみたり、いいね!がたくさんついたので自信を持って見せたら、さんざんにこきおろされたり。
そもそも「他」によって決められる写真だから、自分的に「これでいい!これで完璧!」だとしても、他がそう認めないならば、それは全然よくもないし完璧でもないのです。
そして「他」が100%あなたの写真を認めるなんてことは、まずありえません。
100%がありえない写真。
つまり、どこまでいっても満足できない写真です。
■ひとりよがりの写真とベストな写真の違い
ここで、「ひとりよがりの写真」と「自分自身を発揮した写真」の違いも理解できます。
同じに見えるこれら2者は、ひとりよがりの写真は「相対的な写真」で、自分自身を発揮した写真は「絶対的な写真」です。
ひとりよがりの写真は、「その他の要素」によって決められる相対的な世界で写真をやっていながら、「その他の要素」を無視することです。
あくまで相対的な世界でやっているにも関わらず、「あんたはここ」と、相対的に決められてしまった自分のポジションを拒否するのです。
そして、たとえば「他」によって80点と決められた写真を、「いや、100点だし」と、勝手に変更してしまうことです。
それは、他との関係によって成り立つ世界に参加していながら、他との関係を拒否するという、矛盾した態度です。
それに対して、自分自身を発揮した写真は、「絶対的な写真」だから、そもそも比較によって成り立つ相対ワールドに参加していません。
この2者は、月とスッポンくらいに別物です。
2.「ベストな写真」と「撮りたい写真」の違い
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