一番見たい写真、そして一番撮りたい写真
ネット上に日々洪水のようにあふれる写真たち。
それらの写真は、みんな何かを目指している。
「ただの写真」ではない。
全部みんな、何かを目指している。
それはカッコイイだったり、カワイイだったり、キレイだったり。
あるいは面白いだったり、スゴイだったり、オシャレだったり。
そして、大抵それらは十分達成されている。
十分カッコイイし、十分カワイイし、十分キレイ。
十分面白いし、十分スゴイし、十分オシャレ。
「ほー」とか「へー」とか言いながら、堪能する。
満足。
でも疲れる。見てて疲れる。
頑張って作ったのね。
「お疲れさん」って、そんな感じ。
…
もちろん、どうでもよく撮るなんて、そんなことはできない。
撮るならきちんと撮りたい。
どこに出しても恥ずかしくないように、きちんと仕上げたいし、自分の代名詞として世に出回るわけだから、一番いいって思われたい。
当然の思いだし、自分の写真が誰にも何も思われなくてスルーされるのは悲しい。
ちゃんとみんなの目に留まって、価値を認めてもらいたい。
…
そんな写真たちはすでに、ネットに上げる時点で「どうでしょうか?」と問うている。
「見てもらう」という時点ですでに、なんらかのリアクションを期待している。
そしてそのリアクションは、いいものであって欲しい。
だから、いいリアクションが期待できるような写真を上げる。
「どう?」ってその写真たちは、声を発している。
ネット上の写真は、ほとんど全部そう。
ほとんど全部の写真が、「どう?」「あたしどう?」「イケてる?」って、声を発している。
見ているほうは、その声に応えてあげなきゃという、謎のプレッシャーを受ける。
いいね!を押す、押さないにしても、心の中で「こうだね、ああだね」って、いちいち返事をしている。
スルーするにしても「いちいち」スルーしている。(笑)
…
声をかけられたら普通反応するでしょ?
駅前でティッシュを配っている人にも、「あ、どうも」ってもらわないなら、無視するという反応を「あえて」するでしょう?
それは一人で歩いている時の何もない感じとは明らかに違う。
ネット上を歩いていても、写真から声を掛けられる。
「あたしどうでしょうか?」「ぼくはどう?」
もちろん、ニュース写真とか「作品」ではない写真は、そんな声はかけてこない。
それらは街ですれ違う他人と同じで、いちいち声をかけてはこない。
でも「作品」は、ティッシュ配りの人と一緒。声をかけてくる。
一歩歩くごとに声をかけてくる。次から次へと。そりゃあ疲れる。
次から次に、どう?どう?って。
それは疲れる。
…
と、いうわけで、見たい写真。
それは、「何も言ってこない写真」。
「見て!」と言ってくるんじゃなくて、こっちから見に行きたくなる写真。
でも、ネットに上げてる時点ですでに「どう?」前提だから、なかなかそういう写真にはお目にかかれない。
いや、ネットだけでなくどんな媒体であっても、発表してる時点ですでに「どう?」って言っているようなもんだから、それは写真集でも雑誌でも同じ。
もちろんそれが悪いと言っているわけでは全然ないよ。
それらの写真は面白いし素敵だしサイコーだし、存分に楽しませてもらっている、もちろん。
ただ、何も言わない写真に、それとはまた別種の価値を感じるってだけ。
「何も言わない写真」
震える。
面白いとかキレイとは別次元を垣間見る。
異次元の空間が広がっている。
面白いとかキレイが霞んで消える。
震える。ほとんど、震える。
前回紹介した森栄喜の「intimacy」なんかがそれだし、ヴィヴィアン・マイヤーなんかもそれ。
そういう写真が見たいし、撮りたい。
でも、「撮りたい」って思った時点で撮れないんだろうな。(笑)
何も言わないって難しい。
どうやったらそんなふうに撮れるんだろう。
才能?センス?
それはほとんど、天からのギフトのように思える。
面白い写真やカッコイイ写真は、撮ろうと思えば撮れる。
頑張れば撮れる。
それは人のなせる技。
でも、何も言わない写真は、撮ろうと思っても撮れない。
頑張れば撮れるわけではない。
それはほとんど、天からのギフト。
何も言わない写真を前にすると、ほとんど無言になる。だって何も言ってないから。
何かを言っている写真を前にすると、多弁になる。だって写真がよくしゃべってるから。
無言。
ただ写真に引き込まれたい。
それが自分にとって、最高の写真。
…
何も言ってないことの何がそんなにすごいのかって?
いや、全然すごくないよ。
全然すごくないところがすごい。(笑)
大抵の写真は、すごくあろうとしている。
それはまあ、人間的な情動だね。
人間らしい心の動きだ。
人がビルを建てたりロケットを飛ばしたりするのと一緒。
ビルやロケットはすごい。確かにすごい。
でも、何も言わない写真は「ただ風が吹いただけ」みたいな写真。
ビルやロケットみたいにすごくはない。
いや、それどころかなんにもすごくはない。ひとかけらのすごさもない。
でもちょっと待って。
「ただ風が吹いただけ」
それってすごくないですか?(笑)
面白いか面白くないかで言ったら、面白くない。
すごいかすごくないかで言ったら、すごくない。
ただ風が吹いただけ、なんて、全然面白くもないし、すごくもない。
でも、ただ風が吹くことは、とてつもない奇跡です。
震えるほど、奇跡。
わかります?
だって何もやってないのに何かが起こるってすごくないですか?
ビルやロケットは確かにそのようにやった。だからその通りのことが起こった。ごく当たり前。
すごいかもしれないけど、それは別に当たり前のこと。
でも、風は吹かせてないのに吹いた。
すごくないですか? 奇跡じゃないですか?
意味わかりますかね?
とにかく震えるんです。震えるほどの奇跡を目の当たりにするんです。
そういう写真が見たいし、撮りたい。
ああ写真の醍醐味はここに尽きる。
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